六月に雨が

You should take your umbrella.

親切なクムジャさん

 2度目の鑑賞

 

 

監督:パク・チャヌク

出演:イ・ヨンエ チェ・ミンシク クォン・イェヨン キム・ビョンオク

 

「復讐者に憐みを」「オールドボーイ」に続くパク・チャヌク監督の復讐3部作の完結編。

 

 

 

なので、まぁえげつないんだろうなと暴力描写などの容赦なさに覚悟はして見始めたのだけど

公開時に流れていた、「クムジャさん」「クムジャさん」と女性達の声が主人公クムジャさんの名を囁き交わすように呼ぶ宣伝スポットが、今も印象に残っているのだけれど、そこからなんか伝説とか寓話的のようなイメージも持っていたからなのか、イ・ヨンエという美人が主人公だからなのかはわかりませんが、始まりは一見前2作ほどには凄惨な感じはしてこなかった。

結果としてはやっぱり目を覆いたくなるというか「痛い!痛い!」と見ているだけで悲鳴の上がる描写にもお目にかかれたのだけど・・・

 

 

イ・ヨンエの美人度でいうなら同じパク・チャヌク監督の「JSA」でのソフィーの時のほうがピッカピカだったと思う。ただ美しかったけれど、正義感によって事件の謎をとくも・・・という重要なはずの役でありながら、用意されたキャラクター以上のもの、あまり内面の葛藤やなにかが感じられなかった気がして個人的には「何だったの?」と思ってしまった。

 

それがこの映画では、ウォンモくん事件と呼ばれる児童誘拐事件の犯人として服役中のクムジャさんは、いかにも清純派で優等生的なルックスそのままに天使のような笑顔で次々と受刑者たちに善行を施しては、女子刑務所内で感謝され、信用と人脈を着々と得ていく。

そして迎えた出所の日、彼女を出迎える伝道師が差し出した豆腐をべシャっと無情にも愛想の欠片もないやり方で叩きつけ、あっけにとられる人々を尻目に去っていく、笑顔も消え、人を魅了したはずの瞳も冷え冷えと、あっという間にふてぶてしくさえ見え始めるクムジャさんに、目を奪われる。

韓国では出所時に真っ白な豆腐を食べることで真っ白に生まれ変わり、二度とここには戻らないようにという行為だというけれど、それを拒否したクムジャさんには何よりもこの日を待ち望んできた理由があった。

 

クムジャさんが産んだ子供を人質に取り脅かすことで、全ての罪を被るように仕向けた男・ぺク先生(チェ・ミンシク)への復讐こそが彼女の望み。「親切な」と呼ばれるようになった善行も贖罪ではなく、復讐の為だった。そりゃ豆腐食べて真っ白になってる場合じゃない。時は来た、とばかりに出所後会いに向かう元受刑者仲間たちは誰もかれも「クムジャさんの為なら」とそれぞれの形で恩返しに彼女の復讐の手助けをしていく。

 

以前からぺク先生と接触し既に身近にいる仲間の協力も得て、復讐の準備を進める中、クムジャさんにはもう一つするべきことがあった。ぺク先生に人質に取られ、その後外国へ養子に出されていた娘の行方を突き止めると、会いに飛ぶクムジャさん。英語で育った娘とは言葉もろくに通じないけれど、詫びるクムジャさんに娘は彼女なりに母への愛情を示し、韓国まで一緒に行くと言い出して、大喧嘩になりながらも共に韓国へ戻る母と娘。

 

 

娘との時間や、働くケーキ店でクムジャさんに興味津々でつきまとうバイトの男の子と一夜を共にしたりもするけれど、計画に気付いたぺク先生の手によって送り込まれた男達を撃退したクムジャさんは急転直下のようにぺク先生を拉致、準備していた山奥の廃校へと運び込むことに成功し、ついにクムジャさんの復讐の幕が開く_____

 

 

 

 小悪党というには大物過ぎるけれど、ちょっとゲスト出演のクムジャさんを襲う男二人組に前2作やJSAにも出演のソン・ガンホとシン・ハギュン。

ソン・ガンホに襲われて冷静に撃退できるクムジャさんは強い。それもこれも全ては復讐のためだったのだろうけれど、その最中に思いがけない発見をしたことから、ことはクムジャさん一人の復讐ではなくなっていく。

 

 

当時発生していた同様の事件、何人もの犠牲者を出していた連続幼児誘拐犯がぺク先生だったという真相を知ってしまった為に、事件の担当刑事や被害者家族たちと、この復讐を共にしなければならなくなるクムジャさん。

廃校の教室で繰り広げられる、家族達の驚き、痛み、苦悶・・・大切なわが子を奪った男へ成すべきことは何か?という葛藤に

 

 

 

映画の始まりからブラックながらもテンポも良く、ぺク先生のあまりの非人間的人間性(おかしな言い方だけれどそんな表現しか浮かばない)もあり、葛藤も感じつつもクムジャさんの復讐の物語として見て来たけれど

ちょっともう見ていてのた打ち回りたくなるけれど、目を逸らすことのできない、映画を見ているこちらにも関係のないことではないのだと、急激に迫ってくるような被害者家族達の苦悩に同じ目で見ていられなくなる。

 

 

見聞きする事件に、見て、考えてしまうことを思い出させられ、被害者の家族達が真相を知っていく描写に、そこからの葛藤に、そそけ立つのは暴力的な行為にばかりではなくなって、震えるようにして彼らを見

やがて彼らが苦悩の果てに出した決断を、その後の彼らにたとえ一時でも柔らかな光のような安堵の瞬間が訪れるのを見た時

 

 

 

ではクムジャさんは? あらためて見てしまう。
あれだけ果たしたかった、執念となっていた復讐、でもそれは贖罪でもあったはずのクムジャさんの元には何が訪れるのだろう?

 

 

 

 

 

 

全てが終わったはずの白い白い雪の中、落した豆腐の代わりに自分の手で焼いた真っ白なケーキに顔を埋めるクムジャさんに
クムジャさんと共に見てしまったそれは、でも本当にそうだったのか?
贖罪を求めたのも、それでも許しを与えられなかったのも私には
クムジャさん自身に思えたけれど、でもそれももうどちらでもいいことなのかもしれない。ウォンモくんの恨みでもクムジャさん自身の心でも、どちらであっても「魂は救われなかった」のだ。
詫びることさえ許されなかった復讐の果てを見てしまった自分からは逃げることができない、だからこの復讐の物語には終わりなんてない。なんて哀れで哀しいのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

復讐者であり罪を抱えるクムジャさんを描いたことで、復讐3部作の完結編らしく、より恐ろしくずっとやりきれなく思えた結末に、でも、あれ?
自分が考え過ぎてるだけなのかしら?とか妙に後から考え込んでしまってまた見たけれど、もうどちらに思えてもいいんじゃないかと、自棄ではなく、そう思った再鑑賞でした。個人的には。でもこの終わりにまたいつか見てしまうのかもしれません。

 

 

 

イ・ヨンエはもうありとあらゆる顔を見せてくれていて、大きく超えちゃってるのが気持ち良さそうで、そういう意味では見ていてこちらも爽快。
オールドボーイチェ・ミンシクはここではまったく違う凄まじさ、見ていて顔の引きつってくるような十二分におぞましい男だったけれど、特典映像を見ていたら「主役じゃないとかはどうでもいい…」と言いながら喋る喋る喋る、喋りたおしている姿にもう笑ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 JSAの原作本にはイ・ヨンエ演じたソフィーという人物もよく描かれていて、個人的にはこちらのほうが「なるほど」と思えた気がしました。視点といいまったく違うので別物として考えたほうがいいのかもしれませんが。

 

JSA―共同警備区域 (文春文庫)

JSA―共同警備区域 (文春文庫)

 

 

 

 

 

 

 (2010~2014に見た映画 再)