六月に雨が

You should take your umbrella.

親愛なる

 

 

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お姉さま方とお茶に行く。

お姉さま方は母よりも年上だったり、母と同年代だったり、あら私はもう少し下なのようふふと言う方もいる。でも何にしても母のような年齢のお姉さま方と、時々お茶をしに行ったり、皆の体調がよければ物見遊山に出かけたりとする。

ふふふ、ハッハッハッとそれぞれの笑い方が違うように、普段のそれぞれの暮らしも、これと言って共通点のないのかもしれない女の集団。普通にしていれば知り合うこともなく行き過ぎていたのかもしれない。

 

 

病院だって人のいる所だからけっこうバラエティに飛んだ色々な人たちがいるのだけど、お互い様々なそれぞれのリハビリテーションを受けていても、療法士さんたちは何人かを担当していたり、誰かが休みの時は代わりもしたりするのでほとんどの人のことはみな知っていて、「私はあの先生は力があって、このくらいまで開きますよーって大きく動かされるのが怖いわ、女の先生のほうが柔らかくていい」「あら、私は女の先生は優しくてダメ。ぐっと力が入らないと効いてる気がしない」とあれこれと話し合っていると、いつの間にか部活の部室で、あの先輩の指導はいい!などと話しているような、学生時代に戻ったような気分になって、おかしいなぁ?と思いながら、この人達と同室になれてよかったなと思っていた。

 

色々な人がいる。その人自身というより今の状態かもしれないけれど。不安だったり、自分の身体なのにままならないと戸惑っていたり。最初に入っていた、救急で運び込まれた人や術前術後の人の部屋では、これは母よりもお婆ちゃんのような人が、ひどく雪の多い寒い年だったからもしれないけれど、とにかく次から次へと運び込まれて来た。

最初からあぁもうこの人は自分の状況も把握していないんだな、と傍目にも分かる人。術後にせん妄になったのか(たまに起こることのようで母も昔、術後ではなかったけれどICUでなっていた)絶対安静にという指導自体理解出来ず、点滴を抜いて動いて、大変なことになっていた人。夜勤の看護師さんたちは一睡も、仮眠もする暇もなかったろう。

動ける状態ではないのにベッドから起き上がろうと生まれたての小鹿のようになっていて、あと数分以内に柵を乗り越える、そうしたら降りられないから落下するのは明らかな影が、カーテンに映っていては隣のベッドでも健やかに眠ってもいられない。てんやわんやの看護師さんたちにコールするのも気が引けるのだけど、私は私でベッドから離れてもその人を助けるという動作がどう考えても出来ない、もししたら、すごろくなら始めに戻る。もう一回手術室から始めなければならなかっただろうし。

後で横のベッドに静かに来ていたお婆さんはずっと静かでおとなしい人だったけれど、夜中になっても静かな微かな声のままに「月の砂漠」をずっと歌っているのだった。大声でこぶしを効かした歌でも歌われていたならそれはつらかったかもしれないけれど、お婆さんの本当に小さな小さな、かそけきと思うような声で歌う「月の砂漠をはるばると旅のらくだが行きました」寂しいようで、なんだか窓側のカーテンの隙間から月の光を見ながら、いつまでも聴いていたい気がした。ポカンと寂しい歌なのに。

 

リハビリも進んで部屋を移ることになって、お姉さま方と同室になった。「あらー若い人が来たわ」と母のような年齢の彼女達から見れば気恥ずかしくも私は若かったけれど、年上だからと下に扱うこともなければ、よそよそしくもなく「おばさんたちのお喋りはうるさいでしょう?」と言われても「そんなことないですよ。」と遠慮ではなく答えていた。普通の人たちの普段のような会話に嫌な感じは一つもなかった。

それぞれ治している途中なのはみんな同じで、深刻な顔をしていたところで早く治るわけでもないし、こんな所でつまらなくしていなくても。言葉にしなくてもそんな風に思っているのかなと思った。

 

お姉さま方と書いているけれど、年上の人に上手く甘えられるわけではない。どちらかというとも何も、可愛がられるということが苦手なほう。素直に甘えたり、相手の懐にすっと入っていけるような人を、羨ましいというより、どうやったらそんな風に出来るんだろう?と思っていた。「ちょっとは甘える子のほうが素直で可愛い」「あんたは可愛げがないわ」などと遠慮のない親戚に言われているうちにそのまま大人になっていたのだけれど

無理をしなくても一緒にいると普通の気持ちで楽しく話しているようになっていた。

みな普通にしていただけなのかもしれない。だけどやっぱりどこかで年の功なのかなぁと思ったり。お互い読んだ本を回しあったり、クロスワードパズルが解けなくてみんなでああでもないこうでもないといつまでも話していたり、何でもないたわいない話をしたりしなかったりしながら窓の外を一緒に眺めていたりしているうち…いつの間にか放課後みたいだなぁと思って、もしかしたら私より四半世紀くらい上のこの人達の中の、若い時からのままの気持ちのようなものと付き合っているのかしら?あれこれ思いながらその居心地の良さに感心と感謝をしていた。

 

病院や老人ホームに動物が慰問にいったりしているのをニュースなどで見たけれど、あれはいいなと思った。それで症状がどうなるかまでは分からないけれどお医者さんでもないし。動物じゃなくてもいい。普段の自分、気持ちを思い出したりするようなことがあれば、少しは違う気がする。リハビリが思うように進まなかったり、そうかと思うと何かの拍子で激痛が襲って涙が止まらず夕食も食べれなくて片付けに来てくれたヘルパーの人に「あらー食べない?食べられない?」と聞かれて「すいませーん、食べられませーん」と泣きながら答えていたり(泣きたくて泣いてるんではなく痛さのあまり勝手にボーボー出続けて止まらなかった)していた時も、それはそれ、過ぎれば終わったと思え、さあ眠ってまた明日と思えるようになっていた。

 

不安はある。焦りもある。でも不安がっていれば結果が良くなるわけでもない。何で前は当たり前に出来ていたことが出来ないんだろう、同じ自分の身体なのに、このままずっと出来なかったら?嫌でも考えてしまう。でも出来るようになるかどうか分かるまで嫌な気分でいるの?まだどうなるかもわからないうちから?

行ったり来たりする気持ちをそれでもこのどこか学生同士のような同室の人達に、慰めるでもなくずいぶんと慰めてもらいながら、放課後の終わり、結局戻った所と戻るのかまだもう少し様子を見ないとわからないという所を抱えて卒業じゃないけれど、退院の日が来た。

非日常で会って仲良く出来た人達だから、サラッと何でもなかったようにまた日常に戻って行くものなのかもしれない。

そう思って「それじゃあちょっとだけお先に失礼します。」退院だから久しぶりに普通の服を来て、頭を少しだけ下げると、なんだかほんとに卒業のようにちょっとグッときたけれど堪えた。センチメンタルになるなんて、こんなに楽しくしてもらったんだから、笑顔で。

「よく似合ってるわよ」服を褒めてくれながらやっぱり笑顔で「また会いましょうね」「はい。」いつかどこかで、と言っているのかと思っていた。だってこの人たちは年齢だけではなくうんと大人で、一番年下の私を気遣ってくれていて、だけどそれはこの非日常の中のことだからと思っていた。

だから紙を出して、ペンを渡して、みんなが連絡先を書きあった時、ちょっと不思議な顔をしていたと思う。泣き笑いのような。

 

 

私だけ年が違い、服装のスタイルはみんな違う。身内っぽくもない。この人たちは何の集まり?そんな質問が頭の上に浮かんで見える気がする店員さんに、飲み物もそれぞれてんでに違うものを頼みながら、時々お茶をしに行き、皆の体調と相談で「今度は秋よ」そうだ少しは涼しくなってから。母でもない誰かのお母さんでもない、おばさんと言うならみんなおばさんの範疇だし、それぞれ名前や名字で呼び合って、気持ちの中でだけお姉さま方と呼んでいる人達と私はまた、果物狩りや、博物館や、菊の花を見に行く。

ちょっと回数の多い同窓会のようなもの、お互い以外のことは何の関係もないように会い自分達の話をし、じゃあねまたねと別れる。

じゃあまた、秋まで元気でいてください。