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六月に雨が

You should take your umbrella.

森見登美彦の京都ぐるぐる案内

読んだ

 

 知らない横丁には神秘がある

 

百鬼園日記帳』の中の森見登美彦がいたく共感したという一文。なので引用の引用ですが、ほんとに、と思う。

 

森見登美彦の京都ぐるぐる案内 (新潮文庫)

森見登美彦の京都ぐるぐる案内 (新潮文庫)

 

 

横丁が殊更に紹介されている横丁巡りの本ではなく、鴨川デルタから始まって、下鴨神社大文字山京都市美術館、そして哲学の道などの左京区エリアに、四条近辺、伏見区伏見稲荷

 

太陽の塔』『きつねのはなし』『夜は短し歩けよ乙女』『有頂天家族』……。各作品の名シーンと、サカネユキ氏による叙情的な写真の競演。そして、現実と妄想が螺旋を描いて交わる、登美彦氏の古都愛溢るる随筆二篇を収録。

 

森見登美彦の小説の舞台、シーンを元にした京都案内。なのだけど、収録のエッセイで著者が”京都をやや文学的に”さまよったりしているからなのか

初々しい、青春っぽいなぁと思いながら、京都の描写に惹かれて読んだその小説の、主人公たちと一緒に歩いているような、いつまでも一緒にくねくねと彷徨っていたいような楽しさ。ふと逸れて、知らぬ場所で途方にくれてしまいそうな心細さを思い出すからか。

入り込んだら抜け出せない、というか抜け出したくなくなるような横丁や路地を、特にあてどもなくぐるぐると巡りたくなってきた。

 

大きい道々の間に縦横に、そんなはずはないけれど無限にあるような気がするほど細い街路があり、並ぶ家々は整然としていたり、他所から来た者には閉ざされた、とっつきの良くないようにも感じるけれど、ちょっとお邪魔させていただいてますようっと、なんとなく控え目に通り過ぎながらプラプラと足の向くまま、好奇心の向くまま。

草臥れればどこかの喫茶店にでも入り、美味しい珈琲で一息ついたらまたよっこいしょと歩き始める。もしかしたらビフカツサンドなどもいつの間にか食べていたかもしれないけれど、それはともかくぶらりぶらりと猫の歩き方でも真似るようにしながら

曲がりも緩やかではない道が多いはずなのに、しだいにくねくね、ぐるぐるしてくるような気がする、あの横丁からこっちの横丁へ…そんな予定があっても忘れたような町歩き。

たまの旅行となるとあちこち行きたくなるものだけど、 点から点じゃない、ついぐるぐる周ってしまった!みたいな旅も、記録より記憶に残る、楽しいのよぉぉぉぉ、と言い張って、遊びに来た友人の希望を捻じ曲げてはぐるりぐるりと一緒に周らせていたけれど、違うんだ、あれはけしてあちこちへ名所を訪ねるのが面倒だったからじゃない、ホントにそう思っていたんだよぉぉぉと今ここであらためて言っておきます。いやほんとに。

 

それはともかく、切り取られている風景の写真といい、京都をめぐる文学の話がしだいに白昼夢のようになった気がしてきたり、しまいには妄想の東京と京都が捻転してしまったりするエッセイといい、普通の観光案内とはちょっと違った楽しさのある本なので、小説読んだことないわー、京都知らんしーという人も、敷居を高くせずとも、読んでるとそれぞれの妄想の小さな町が出来上がってしまうかもしれない。

本書をポケットに、とあるくらい薄い小さな本なので、読んだ人の中に出来た小さな京都も一緒にポケットに入れて、いつかまた出かけてみるのも楽しからずや、と思います。

 

しかし先斗町はいつもどの写真で見ても風情あふるるこれぞ横丁、浪漫の路地だねぇ。実際に行ってみると、えもう終わり?となるかもしれないけれど、ただがっかりするのはまだ早い。灯ともし頃から町へ出で、木屋町辺りで魅惑の大人ぶりに酒の精に捕まって、そのままの頭でそぞろ歩きなんぞしていくと、写真のような幻想的な風景が目の前に!驚き。酔いかげんによってはどうしてだか、写真よりも広がって、くねくねとうなぎ踊りなんぞしながらいつまでも彷徨ってしまいます…とこれは前の晩7時頃から飲んでいて何軒目かの店をふと出たら、あら朝…とたびたび夜が明けていたことを思い出した今頃の言い訳ですすみませぬ。

 

 

町のほうもいいけれど貴船口~鞍馬の辺り、山の神秘も、清涼でどこか物寂しいようで、ゆらぐ風景の幻想があり、夏は川床など涼を得るのにももってこいの場所だけれど、季節はずれな話で申し訳ないですが、冬に歩くのもしんと頭が冷えるようで気持ちが良い場所だった。冷え過ぎたらここでは三千院などの甘酒でホッと温まるのもいいです。

 

大原・鞍馬〜貴船|観光MAP|そうだ 京都、行こう。〜京都への旅行、観光スポットで京都遊び〜

 

日が暮れたら、便利さや新しさはないけれど、数軒あるシンプルな民宿に泊まるのも夜のしじまが見たこともない遥か昔を思わせる。静かの深さに底がないようで、古都の怪しか妖しの夢でも見られるかもしれません。天狗さんの夢を見てしまう可能性もありますが。

冬の話を思い出したのは、収録の随筆に、百閒からお師匠さんの漱石先生の京都への旅の話になり

漱石はしきりに寒がっている。ぜんざいの話と、「寒い」ことばかり頭に残る

 という一文があったからかもしれない…単純な私の頭。でもたしかに漱石先生でなくとも京の底冷えというのは「ほんとに底から冷えるのか!」と住んでいた頃に体感したので、冬に行くなら足元の冷えにもお気をつけて。ブーツくらいでは夜に足先から痛いほどキーンと冷えますかも。

今の時期は盆地の脅威を実感する暑さ、湿度かと思いますが、そんなくっきりし過ぎているくらいの四季が、この山に囲まれた川の流れる町を彩っているんだなぁと思うと、それも味わいだった気もする。

何年か暮らしている間もそんなぼぉっとした旅人のようなことを思ってはふらふらとしていたのだけれど、特に構ってくれるわけでもないけれど、そんな好き勝手が少しくらいいようと別段、かましまへん、とほうっておいてくれるようなあの町のちょっと愛想のなさもなんだかやけに好きだった。今思うとそれも、大きな懐だったんかいなぁと思ったりします。

 

 

 

ところで森見登美彦氏ははてなダイアリーで書いていたんですね。作家の人のブログをあまり見ないので知らなかった。

2014-07-04 - この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ

 森見登美彦氏は現在小説家としてキャリアがぐるぐるしているのであって、もはや京都をぐるぐる案内している場合ではないのではないか。

とこの本をおっしゃってますが、 読者としてはなかなかに今は思い出と妄想の京都をぐるぐると巡らせていただいた、楽しい本でした。

 

 

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