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六月に雨が

You should take your umbrella.

夏の足跡

日常

 

 

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雨の多い盆休みだった。

それでもちびっ子たちがペタペタと縁側に残した小さな足跡や、サンダルを見ては、夏だなぁとやっぱり思っていた。

 

 

「どうしてたまに会うおばさんはいつも『大きくなったわねぇ』ばかり言うの?」と子供の時思っていた謎は大人になって簡単に解けた。

生まれたての赤ん坊だったのが笑うようになって、喋るようになって、挨拶までしてくれるようになって…当たり前だとわかっていても会うたびにいちいち驚きがあって、挨拶のあとは「大きくなって…」しか出てこない。

自分の子供は「あ、寝返りを打とうとし始めている!」そんな細かいことを見ては一喜一憂していたけれど、よその子供の成長は一足飛びに見る、目に見えて大きく変化を感じるから、きっと私も、毎年同じことを、と思われてるんだろうなぁと思いながらもいつも「大きくなったねぇ」同じことを言ってしまう。

 

ちびっ子たちのサンダルや裸足の足を見ているうちに、小さいうちは毎日が変化だった気がするけれど、それでも夏になると急激な成長を感じていたのは「足」だったなと思い出していた。誰かと話した時に出た結論は
「裸足でいる時間が多いからじゃないの?」…そんなアホなと思うものの、でも考えても他にもっともらしい理由も見当たらないし、ホントのところはどうしてだかさっぱりわからないけれど、何にしたって夏の終わり頃になると「靴が小さくなった」と言い出す息子に「靴が小さくなったんじゃなくてあなたの足が大きくなったの」返しながら、夏休みの終わりまでに新しい靴を買いに行っていた。

 

最初は手の平に乗るくらいだった「くっく」が、幼稚園の靴になり、スニーカーになり、いつの間にか同じサイズになったと思っているうちに追い越され、うれしいような悔しいような…と思ったのもあっという間に過ぎて「一度しか履いてないんだけど足に合わなくて…」と持って帰ってきた靴は、履けば中で足が泳ぐサイズになっていて、誰も履けないよ、とりあえず、と置いておいたら猫がスッポリ納まるように入り込んで眠っていたのを見て笑ってしまった。

 

子供が巣立って「さびしくないの?」と言われるけれど、そりゃ一人いたのが居なくなれば物足りないような気もするけれど、さびしいのか?自分に問えば、それを言うならもうとっくに、小さかったあの子はいなくて、でもそれはさびしいけれど、うれしいことだ。

 「あんよはじょうず」歌いながらいち、に、いち、に、…頼りなげに右、左と出すのを見守っていた頃の、手の平にすっぽり包めた足を思い出すと、甘酸っぱいものを食べたような気持ちになる。

一瞬も同じ時間はない、その背中合わせの気持ち。子供がいようといまいと学ぶ人は学ぶことを、私は胸の中にいる、恐る恐る初めて抱っこしたあの子、座卓に掴まって、誰が教えたわけでもないのに一生懸命、うんしょうんしょ、顔を赤くして立ち上がろうとしていた小さなあの子に、教えられているような気がする。

育てている間は夢中で、笑って泣いて、大変なことも、胸が張り裂けそうな思いもしたけれど、思い出すだけで泣きそうなほど幸せな記憶をもらって、さびしさだけが残っているはずもない。

親を見送った時、夫や子供がいても糸の切れた凧になったような気がして、この世に一人だけになったような気持ちがしたけれど、思うことは同じでなくても、こうやって互いに記憶の中で繋がって、時間を繋いでいくのかもしれないと思うようになった。

 

 

 

今度は夏カレーに挑戦するとナスとトマトとゴーヤを詰めた紙袋を手に、大きな靴を一足残して帰っていくのに、またね、と手を振って、その足で西瓜を届けに行ったら、奥の座敷でまだ汗をかいても甘い匂いをさせながら、遊び疲れて健やかな寝息をたてていたちびっ子たちに

外で遊んだ後の足を追い掛けて、足跡を拭いて回っているきみたちのママの胸にも、しっぽをギュッと掴んで猫に怒られて真剣に猫に謝っていた顔や、精霊馬の横にどうしても並べたいと爪楊枝を刺そうとして通らなくてゴーヤを握って泣いていた姿が、消えない足跡みたいにいくつもいくつも、ペタペタと残っていくんだねと思いながら、少しだけ秋に近付いた気がするけれど、もう少し、もう少し、夏は続いていく。

 

 

 

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