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六月に雨が

You should take your umbrella.

生きろ

この間からいろんなブログの記事を読んで、どうしようかなと思っていた。書きたいようで、書きたくない。

どう思うか、考えてみたけれどやっぱり答えなんか出やしない。
でもほんとうに書きたいことをごまかしているようで、他のことを書いてもなんかこう、むにゃむにゃっとして、自分が気持ち悪いので、まとまりのない話だけど書いておこうと決めた。
以下はだからまとまりもなければ、何か答えになっているわけでもない。
自殺の話が苦手な人は読まないでください。

 

 

 

 

読んでいてあぁ同じようなことを思ってる人がいるんだなと感じたけれど、当たり前だけれど、違うこともあるし
同じ言葉でも人によって意味は違う。同じようなことを経験していたとしても、それぞれで違う考えを持つこともあるし。
ジョン・アーヴィングの「ホテルニューハンプシャー」だったか、一つの経験に悩んでいる人たちの相談を受ける場所で
同じ一つの経験をしたからって同じに扱わないこと、それぞれの経験があるんだから
というようなことを書いていたような覚えがあるんだけれど(だいぶ前に読んだし今手元にないので物凄く曖昧で申し訳ないけど)
曖昧なのに断言するのもあれなんだけど、記憶にある限りでは
そこに書いてあったことは
正にそういうことだと思う。
繋がることで救われる人たちだっているんだろうと思うし、それを否定しているわけではない。共感ということも。
ただこれは私にとって、それぞれの経験、考え方の中の一つで
だから重なる部分はあるけれど、言及もしないでおこうと思う。

 

 

 

普通になればいい。なんでこういう話を普段、日常生活でもしないかというとそれはやっぱり「普通じゃない」特別な目で見られる、
特別な扱いをされることが嫌だからなんだろうと思う。
そうさせてしまっているんじゃないか?と思うことも。

ただ、普通に受け止めて、とどれだけ思ったところで、でも自分だって逆の立場なら、自分の経験どころか想像もしたことないことだったり、(少なくとも身近なこととしてリアルに考えられない)、
そんな話を聞けばやっぱり平常ではなかなかいられないんじゃないか、いやいられないと思うと、おあいこで、だからまぁもういいかというか
しょうがない気もするのだけど
別に親の死因というか死に方をそんなに話す機会なんてないようで、ご健在なの?とか話になっただけで
後が続かない。
そんなもの律儀に正直に答える必要もないのかもしれないし
適当にサラッと流しておけばいいのかもしれないし
何ならウソをついたっていいのかもしれないけれど

でもなぁ、なんでいちいちそんなことせなあかんねん、ってやっぱり思う
思うけれど、正直に答えて普通に「あら、そう」って返されたとしても「気を遣わせてしまった?」ような気はやっぱり残るしと
結局どうどう巡りなんだけれど

私にとって意味のある話だとしても、周りから見た私にとって重要なことではないと思うのもある。私の一部ではあるかもしれないけれど、全てではない。
父の思い出を話すにしたって、思い出は思い出であるというのに、そうならないんじゃないか?
一度自死したことを話してしまえば、何を話しても「あの自殺したお父さんの…」となったらたまったもんじゃない、もう話せない。
実際に相手の中に浮かんでいるかどうかは別として、そんな風に思ってしまう。
いや、そりゃ確かにそうなんだけど。でも私のお父さんのそれは一部であって、やっぱりそれが全てではないんですけど…っていちいち思うのも
めんどくさい話で、めんどくさい考えがループのようになってしまって
家族の話も出来なくなった。

遺伝のことは私も分からないけれど、気質的なもので、同じことをしてしまうんじゃないか?というのは私にも、知っている人の心配もやっぱりあって、心配は別としてそう思われるのも、思われるんじゃないか?というのもあるんだけど、心配してもらえるのはありがたいことだけれど、わざわざ増やしてどうする?とか。

だからそういう意味で、あまり構えることなしに、普通に話が出来るようになればいいと思っているんだけど。

 

 

死は誰にでも訪れる。色んな生があるように、色んな死があるだろうし、死に方に色々なことを感じるかもしれないけれど、死そのものは平等だと思う。誰にでも遅かれ早かれ嫌でも嫌じゃなくても、同じく訪れる。

なんで生きているのか?そんなことわかろうとわかるまいと、あがこうとあがくまいと死はやって来る。必ず。
残酷なように感じるのも生きている間だけだ。特にひどいことでもない、美しいことでもない。そういうものだから、としか私にはわからない。
生まれてきて死んでいく。呼吸をしているのと同じように。どんな死であろうと。

だから大切にしなくていいわけじゃない。どこかの誰かが勝手に終わらせていいわけがない。
自分の命も勝手に終わらせないで欲しい。

自分だってひどく辛い時にはもう終わらせていいんじゃないかと思ったこともあるし、これからも思うこともあるかもしれないけれど、それでも、生きろと思う、思い続けたいと思う。

これは死んだ人への言葉じゃない。今生きている私に、あなたに、思う言葉。言いたい言葉。

死んだ人はもうあちら側にいるのだ。そこには別の対話があるだろう。


報道についてどう思うか?自ら死を選んだことそのものは、公の人物、著名人であれば報道されることもあるし
全然気にならないか?と言えば、そんなことはないけれど、勝手な話だけれど自分の状態にもよるし、その人をどう、どれくらい知っているか、
思い入れにもよるだろうし、忘れている(自死遺族だからといって24時間365日そのことを考えているわけではない、当たり前だけれど)ことを
刺激されてしまう時もあるんだけれど、
でもそれは何にだって言えることなんだろうと思う。
何かに傷付いていたり、何かを見聞きするのが辛い、という感情は誰にでも、どんな形でもあるかもしれないもので、
それをもってどうこう言いたいとは個人的には思わない。
だから嫌なら情報を断つしかないと個人的には思っている。
行き過ぎている、と感じた場合やゾーニングの問題は別として。
美化したり、事細かに何をどうして、ということまで報道しなくてもいいんじゃないかと思うし、誰の為の、何の為の報道なのか?何をどう伝えたいのか?を考えて報道して欲しいと思うけれど。

なぜ?は本当に答えのわからないことだし。


香港のレスリー・チャンが亡くなった時、本当にショックを受けた。
なぜ?なぜ?何回もそう思いながら、彼の死のショックと同時に
自分が普段はしまい込んである記憶が引っ張り出されて、これはもうギブだとだからしばらくほとんどの情報から遠ざかった。ただ、だからといって知りたくなかったとも、ウソを書いて欲しかったとも思わない。憶測であれやこれや言うのはよしなさいよ、とは思ったけれど。それと個人的に辛かった、というのはまた別の話のように思う。

 

あまり入り込まないようにしながら、情報から距離を置いていたけれど、香港や台湾を始めSARSで多くの人が亡くなり、年末にはアニタ・ムイが病の為に世を去り、ブラッキー・コーという俳優も亡くなった。多くの死に、多くの人が悲しみにくれている中、伍佰&チャイナブルーが歌った歌を、後で少し遅れて聴いた時、答えの出ない問いに答えがあったわけでも、全て解決したと感じたわけではもちろんない。ただ、今生きている自分を思い、今生きている人たちを思い、これからも生きて欲しいと心から思った。

 

死者を思う気持ち、それもあるけれど、自分をふくめて生きている者のほうがずっと大事で、大事にして欲しい、と。

 

この歌はメチャクチャな歌だ。優しい歌ではないと思う。

歌詞は意訳のようなものだけれど、語学力も低いし、間違っている所もあるかもしれない。(意味はわかっても出来ればそのままで聴きたいと思うのでわざわざ訳すということをあまりしない。訳す、日本語に置き換えるというのは本当に難しいことだし。おかしい場合はご指摘ください。)

 

あの風霜がどれだけあなたを痛めつけても
あの雨水がどれだけずぶ濡れにしても
あのあなたのいっぱいの涙が溢れ決壊して全てを飲み込んでも
必ず最後には解脱が訪れる。
解脱の後には何もないだろう。

 

あちらこちらへと行ったり来たりしても結局は小さな瓶の中にいる可笑しなピエロのよう
生命は本当に伝説のように浅く薄っぺらいものなのか?
私が享受するものや心の中の賞賛の対象は
表面的なだけのものなのか?

 

苦痛の道にも或いは終わりがあるのかもしれない。
でも私は涙を流せば流すほど 心が砕ければ砕けるほど
まだ足りないと思う

 

苦痛をあなたにあげよう 熱い力もあなたにあげよう
悩みもあなたにあげよう あなたは生きていけ
風がえぐろうとも 雨が降ったとしても
あなたにぶつかったとしても あなたは生きていけ

 

一陣の風が私の顔に吹き
髪をかき上げ毛先に2,3滴の雨が軽く落ちる
真っ黒な巨大な顔になり
ハハ、私は今とても危険だと言う。

 

苦痛の道にも或いは終わりがあるのかもしれない。
でも私は涙を流せば流すほど 心が砕ければ砕けるほど
私はまだ足りないと思う。

 

苦痛をあなたにあげよう 熱い力もあなたにあげよう
悩みもあなたにあげよう あなたは生きていけ
風がえぐろうとも 雨が降ったとしても
あなたにぶつかったとしても あなたは生きていけ

 

全部の愛をあなたにあげよう 全部の恨みをあなたにあげよう
全部の涙をあなたにあげよう あなたは生きていけ
たとえ出来なくても たとえ願わなくても
たとえ私の為にでも 生きていけ

 

 

たとえ無理でも、望まなくても、私の為にでも生きろ

それまでも伍佰&チャイナブルーは聴いていたけれど、こんなにメチャクチャな歌は聴いたことがない。彼らに限らず。メチャクチャだけど強烈でストレートに響き、力付けられ、生きろと自分に人に思った。

 

 


[avex官方]伍佰 & China Blue 活下去(MV完整版) - YouTube

 

 

 

 

 

 

まとまりないついでにもう一つ。

死について書こうとする、書いていると下手な村上春樹みたいな文章が頭に浮かんできて困ったけれど、村上春樹の本や、それからジョン・アーヴィングも、元々村上春樹が「熊を放つ」だったっけ?訳していたのを読んだのが最初だったような気がするけれど、当然別の作家だから違うけれど、死の気配や匂いが周りにあったとしても「引っ張り込まれないで生きていこうとすること」が書かれていた、いい本だったと思う。もうずいぶん長いこと読んでいないけれど、また久しぶりに読んでみたくなった。

 

 

ホテル・ニューハンプシャー〈上〉 (新潮文庫)

ホテル・ニューハンプシャー〈上〉 (新潮文庫)

 

 

 

 

 

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