六月に雨が

You should take your umbrella.

二百十日

 

 

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一日出かける予定だったけれど誰かが帰りに風に吹き飛ばされるといけないので、午前中だけ菊を見に行って少し早め長めの昼食をとって解散。朝はまだそれほど気にするほどではなく晴れてもいたのだけれど、みな気をとられていたのか、気がつくと全員カメラを忘れていた。ので菊をただただ鑑賞したのだけれど、なんていうか、綺麗だなぁと思ったのだけれど、立派だなぁと育てた人のことのほうが気になったり思ったりしてしまった、鉢植えって。

行き帰りに見たハナミズキが葉も実も真っ赤になっていて、けれど燃えるようというよりやっぱり秋の色をしていたのが印象に残ったけれど、何も撮れなかったので、一度帰ってから晴れている間に近くの木を見に行った。

相変わらず何の木なのか名前も知らない木は、少し色が変わっていて、陽を透かすように見ると赤が勝って見えるけれど、普通に見ればまだ黄色と紅の間くらい。一雨ごとにもっと深く濃くなるのか、風雨に散るのが先になるのかしら。

 

 

 

二百十日の話を今頃読んだ。

 

ku:nel (クウネル) 2014年 11月号 [雑誌]

ku:nel (クウネル) 2014年 11月号 [雑誌]

 

 

川上弘美のクウネルの連載短編、この号の「二百十日」がよかった。

 

 

去ってしまった者の為とか見送る側の役目であるとか、無理をさせるのではなく、けれど分水嶺なのだよ、とその別れ目からまたさらさらとそれぞれの道へ流れていけるような話で、ふっと気持ちが楽になったような、フラットになった気がした。

 

生きている限りは見送る側で、見送っている側は生きているということなのだけれど、仕方のないこと、自然なことなのだと全てを受け入れられるわけでもなく、多ければ慣れるというものでもない、むしろ弱っていく部分、積み重なって疲れていくのにも似てもう藁1本でも無理なような気もする時もあるとは思うのだけれど

 

残されたような気がしていたり、傷つけられたのではないと分かってはいても傷のように残っていることはあるけれど、自分ばかりでも相手ばかりでもなく、両者の気持ちを自然と受け入れたり、そういう気持ちをふっと掬い上げてくれるような短編だった。

 

単行本になるのを待とうかどうしようか、と迷っていたのだけれど

二百十日はとうに過ぎたけれど、

風の強い日だった。

 

と始まる短い話を強い風の日に読んで、胸に吹いてストンと落ちていくようでよかったのかもしれない。