然而
陳昇 然而(你不會知道)
”あなたは永遠に知らないけれど わたしにはとても嬉しいことがある
ある早朝 わたしはあなたがわたしの側にいることに気付く
あなたは永遠に知らないけれど わたしにはとても悲しいことがある
毎夜 あなたに寄り添っていることはもう二度と出来ない
髪に白いものが混じるようになった頃
あなたはまだわたしのことをしっかりと覚えているだろうか
ある一言をわたしはあなたに言う
わたしは遥か遠い場所であなたを待っている
あなたがすでにもう悲しまないことをわたしは知っている
わたしはあなたに鳥のように自由でいて欲しい”
これがほんとはどういうことを歌っている歌なのかは、知らない。ボビー・チャンの音楽は好きなんだけれど、この曲は、これこれこういう心境で…と情報まで追っていないので、だから聴いたままに心揺さぶられたり、刺さったり…熱心に追いかけている人よりも振り回されているのかもしれないけれど
この歌は状況も描かれていないし、だからどういうつもりで作った、歌っている歌なのかはさっぱり知らないけれど
去っていくものがどう思うのかは永遠にわからないけれど、自分が去り行くならこういう風に思うだろう、悲しまないでと言えばよけい悲しいだろうから、多くは悲しまないで、後は自然に任せて、笑ったり泣いたり愛したり愛されたり傷つくことがあってもずっとは歩みを止めないで、少なくとも私が去ったことからは自由でいてほしい
そんな気持ちと重なって
だからあなたもそう思っていると思えば、同じはずなのに、同じはずなんだけれど、あなたがこう思っているかもしれないと思うと私はやっぱり泣いてしまった。
思いが悲しいのか、嬉しいのか、わからないけれど
悲しむくらいなら何一つなかったことにして全て忘れて欲しい、と昔は思っていたけれどそのほうがずっと残酷なことのようにこの頃は思うし
もし悲しいのだとしてもかまわないのかもしれない
こういう歌に泣いてしまうことはあるけれど、私はもう既に悲しんではいない。少なくとも同じ気持ちでは。どんな気持ちでも同じままではいられないのと同じように、時間が過ぎ変化はある。悲しまないようにしよう、悲しんでいよう、どちらも同じように不自然なことに私には思える。
自然に任せればいい、鳥のように自由に飛び回ることは出来なくても、鳥のように自然に任せて生きることは出来る。
普段は概ね元気でそうして心は自由だから、いつかは分からないけれどいつかまで、あまり心配はしないで待っていてください。
この歌にそういう風に思う。
普遍的なもの、多くの人の中や人と人との間にあって、言葉や形にはしていない、なっていないだけなのかもしれないけれど、それをこういう風に歌ってみせる人を私は他には知らないから
泣かされたり胸を突かれたりギュウと言わされたりして、ギュウの音も出ない…悪魔の扮装なんかしなくても悪魔のような人だよほんとに…と時々褒めたくなるのだけれど
人在江湖 身不由己、人の世はままならないことも多い、鳥のようにはいかないわよこのお気楽さんめと思うかもしれないけれど
本当に届かない一線の向こうと繋がっている場所が自分の心の中にあることに、気付かされたり
自分だけでは上手くほどけない毛糸玉のようなものを、こうスルっと抜き出してもらったような
あぁ自分の中にあったのはこういうことだったのか、と取っ掛かりの一本を見せられるようで、その先は自分で考える、そうやって少なくとも自分で自分を不自由にはしない、自由にしようとしているのかもしれないなーと。
その為にしようと見たり聴いたり読んだりしているのではないけれど。
崇めたり頼ったり期待したりではなく
取り出したりすくいあげて形にする、出来る人の才を愛する。それが出てくる人を好もしく思う。