六月に雨が

You should take your umbrella.

静電気

 

 

 

 

 

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冬になると時々、あのイヤなやつがやってくる。気に入りのセーターを脱ぎ着する時

車のドアを開け閉めする時。

バチっ、っと手に走り「あっ」の後になぜかかならず「…も~う」と言ってしまうものから、パチッパチパチッくらいのまだかわいいものまで。

ガードレールやドア、当たり前のものにふと素手で触れただけで、それは突然やってくる。

あるかもしれないことはわかっていながらふいをつかれるようで、よけいに腹が立つのかもしれない。

 

 

ある日あるビルに出かけて、押したエレベーターのボタンで、…わっ、っと思わず声が出るだけではなく、バチっ、っという音がはっきり聞こえたような気がした。

しょうがない…もう放電したから大丈夫だろうと気を切り替えて、もう一度ボタンを

押したら動かない。…あれっ?あれあれあれ?

エレベーターからは微かな電気音は聞こえているものの、ボタンの反応はまるで無い。完全に停まってしまっていた。私の反応は「…そんなアホな」。

静電気でビルのエレベーターが止まる?そんなわけ…ないよね?

ともかく管理の人に「エレベーター動いていませんよ」とだけ連絡して、首をかしげながら、友人の代理で入ったバイトのシフトに、別の場所にあるもう一基のエレベーターで向かった。

 

 

何にもない所でその場にないものの匂いがするのは病気です、と前に何かで書いてあるのを読んだ覚えがある。

それ以前もそれ以降も、そんなことは二度となかったのだけれど

その日の私はおかしくて、どうかしていたのだろうか?

バイトに入り、基本的なことは私がしているバイトとも大して変わりはないし、特に問題もなく仕事はスムーズだったのだけれど

匂いがする。ずっと。

何か匂いません?と言うのも憚られて、それとなく周りの様子を見ていたけれど、それはやっぱり他の誰も感じていないようだった、私以外には。

 

 

なんでこんな所で?こんな時に?

本当にわけもわからない、今日は関係のある日でもない、だいたいなんでこの匂いなんだ?

私は夢でも見てるような状態なんだろうか?どうかしてしまっているのか?

それでありもしない匂いがしているように感じているんだろうか?

だけどどれだけ否定しても、その匂いは去ることも、薄まることもなく、ハッキリと鼻に感じられ続ける。

おかしな日だ。

 

 

考えても仕方ないのかもしれない。匂いがするのは気に掛かるけれど、それはそれで、仕事をすることは出来る。考えるのをやめよう、とりあえず今は。

そう決めると、匂いを感じているまま、だけど何事もない顔を装って、シフトを無理なくこなし

その日の仕事の残り時間もあと少し。

ふと時計を見てそう思いながら、頼まれたちょっとした用で、同じビルの別の階へ出かけた時

もしかして死にかけたのかもしれない、と後で思うような経験をしたのだった。

 

 

最初に乗ろうとしたあのエレベーターはもう何事もなかったかのように普通に動いていた。

あぁもう無事に動いているんだよかった、まさか静電気のせいじゃないだろうと思いながらも、ちょっとした後ろめたさを感じていたのがホッとした。

乗り込んで、用を済ませて、再び戻る為に乗り込む。

先に乗っている誰かが奥に居たのを、特に意識することもなく

私の降りる階より上の階で扉が開くと、その誰かの腕が、私の首に回っていた。

その手に何かの刃物。開いた扉の向こう側には数人のお兄さん達。

 

あ、ふつうの人たちではないな、とすぐ思ったのは飲食店などでバイトをしているとそういう人も現れるからで、彼らは概ね普通に食事をするだけだけれど、何となく、セーターの色柄とか、アクセサリーだとか乗ってくる車なんかが何となく違っていて

そんな人たちが集団で、明らかに踏み込もうとしていたのが、戸惑っている。

目の前に居る彼らと、自分の身にどうやら起こっているらしいこと。

現実味がないかと言えば、あった、ギュッとお腹の辺りが高い場所に立った時のように気持ちが悪くなっていたけれど、声は出なかった。

キャア~ってそんな声は出ないんだ、と後で思った。

あまりに突然でとんでもないことは現実感があってもとりあえず、キャア~

映画のような悲鳴は咄嗟に出るもんじゃないんだな、スクリーム女優でもない限り。

 

 

その代わり頭か心の中かで、目まぐるしく思っていた。

あぁバイトに人の代わりに来ていて、こんなつまらない用の為に、こんな本来自分とはほぼ縁もゆかりも何もない場所で、終わるのか。そうか、イヤだな。普通ではあまりない最期だろうし、色々言われるかもしれないな、面倒くさいな、申し訳ないな、悪いことは何もしていないけれど、なんかこんな死に方ちょっと申し訳ない気がする…

 

その間はどれくらいだったんだろう?

そんな長い時間ではあったはずがない、と思う。

目の前に居たほうの人の一人が、とりあえず、という感じにサッと足を出してエレベーターを止めていたけれど、長く思えたけれど実際には多分一瞬だったのかもしれない膠着状態の後に

誰かの指示か、その足が引くとまた扉は閉まり、エレベーターは下に下がる。

あぁ、イヤだな、いよいよ死ぬのかな、うーんイヤだな、イヤだけど、どうにも出来ないな…

 

幾つか下の階でまた扉が開くと、私を捕らえていた人は手を離した。

…えっ、となる私を、この階では2,3人の待ち構えていた、ちょっと上に居た人より頼りなさそうというか、反応の鈍い彼らのほうへ軽く突き飛ばすと、ドドドド…逃げた。

走って。

 

 

助かった・・・?しばらくぼんやりして、座りこみそうになったけれど、いや、早くここから離れたい、そう思って

バイト先に戻って自分に起こったことを、まだ頭がボーっとしたまま上の人に報告しに行くと、事務室でソファに座らされ、お茶を飲んでいなさいと言われて

上の人がどこかへ電話を掛けたり、ちょっと出て行ったりして、結局その後は私は仕事にならなかったけれど、問題はなくバイト代は出るから、そしてケガはしていないかとか、確認したうえで、いくつかの話を聞いて今日はもう帰りなさいと言われた。

さすがに一人で帰らせるのは、と言われたので友達に連絡して迎えに来てもらうことにしたけれど

車に乗って友達の顔を見た途端に、膝がガクガク笑い出して、だいたいの話をしながら膝の動きにつられるように笑いそうになっていると

「今日は一人にならないほうがいい」と友達はその夜泊まってくれることになった。

そういう目にあって、泣くとか怯えるとかではなく笑いだしそうに、クスクスしそうになりながらことの顛末を話す、というのはたしかにおかしい、マトモな状態じゃない、とその時は自分では気付いていなかったけれど。

友達と暖かい自分の部屋でしばらくしてから、ようやく普通に、怖くなった。

 

 

数日後、バイト先の上の人から「ご迷惑をお掛けした」ととある人から預かっているという封筒を渡されて、正直受け取りたくは無かったけれど返せるものでもないのだろうな、と困った末にじゃあとその友達のバイト先の人たちと前から計画していた旅行で使うことにした。

さすがに私はもうそのバイト先、そのビルに一人で入ることは出来なかったし、しなかったけれど、その後何かあったということもなく

その出来事で何かを聞かれるということもなかった。

ニュース(地方の小さいニュースとしても)になるようなことはなく、事件にはならなかった、ということだけれど、それは私にはどうでもいいことだ。

 

 

 

あの日、ずっと流れていた匂い

それは私が父と体面した時の匂い、通夜の間もずっと鼻に流れ続けていた匂いだった。

たぶん何かそういう時用の香料や、いろいろと混ざっていたのだろうけれど

あの時しか嗅いだことのない匂い。どんな、と例えることも出来ないのは

それ以前も以降も、人の死に立ち会ったり葬儀に出た時でも、他のどこでもしたことのない匂いで、他に例えられるような匂いも知らないから。

それはいわゆる普通の病死などとの違いとか、そういうことも関係あるのかどうか、私にはわからないけれど、とにかく人生でその一度きりしか嗅いだことのない匂い。

あの日、突然その匂いを鼻に感じて、どうなっているの…?と殊更戸惑ったのも、けれどバイト先の人に出来るような話でもなかったのも、そういう匂いだったからで

あれが今ここでするなんて…何がなんだかまったく理解出来ない事だったのだ。

そして気がつくと匂いは消えていて、あの日以降今まで二度と嗅いだことはない。

 

静電気ごときで、かどうかは知らないけれどそれを境に止まったエレベーター

あの匂い

それと後に起こった出来事、を並べるとまるでちょっとしたよく出来た話のように思える。

オカルティックにでもちょっとええ話にでも、なるのが何が違う気がするので

出来事のことは人に話したことはあるけれど、エレベーターのことや匂いの話は一緒にしたことはない。

本当に関係のあることだったのか?

私自身がどう思っているのか?といえば

その三つに関係があるのかどうかなんてわかるわけがない。

ただ、もしあれがいわゆる、つまり死んだ父からの知らせ、娘に迫る危機をどうしてだか察知してどうにか教えようと懸命に起こしたことなのだとしたら

 

わかりにく過ぎる。

エレベーター静電気で止まる、はまだしも、自分の死んだ時の匂い漂わせて、それでわかる?わかるかね?

ハッ、この後、何かが…とわかりますか?あれで?

…無理。わかりにくい。やっぱり。

「それが精一杯の出来ることで力振り絞ってくれた」のだとしたら、そりゃあやっぱり、ありがとう、と思うけれども。

でもそうだとしたら、なんか

なんか、死んでからもなんて微妙にズレて間が抜けているのだろう…

父、というものによくあることなのかもしれないけれど、娘と噛み合わない時が多多ある人だった…

 

 

誕生日に、まだパンプスも履いたことのなかった子供に、洒落たハイヒールを、しかも黙って下駄箱に入れてあって、私が一向に気がつかない、どれだけ鈍いのかお前はと一週間後くらいに怒っていたり

時計をくれるのはよいけれど、わざわざ娘と同じ名前の宝飾店を探し出してそこで買って贈ることにこだわる、バラ一輪を添えて、とか…

父ちゃん、それ違う、それ百歩くらい譲ったとしても「女」にすることや。

昔風やけど(昔の人だから)「彼女にしたらジーンとする」みたいな戦後とか昭和初期とかの映画とかであったんかもしれへん粋な方法で

プレゼントの包み紙にハッとして「あら、私と同じ名前、もしかしてわざわざ探し出してくださったの…?」とか言ってて絵になるのはでも昔の女優さんくらいで

娘にすることと違うんやで!

と指摘するとマジ怒るので言えなかったけれど、そんな風に、いわく言いがたく、ズレた父だった。

 

 

セーターを脱ぐ時パチパチと静電気が鳴って、あっ、っと身体から慌てて離す、慌てて離してもあまり意味はないけれど、そんな時、ふと思い出しては、で、この話って結局何が何でどう…何?

いわく言いがたい気持ちになっていたけれど

神秘的でもオカルトでもちょっといい話でもなく、これは結局、いわく言いがたい話、なのだと思うようになった。

 

特にオチとかは、ない。