六月に雨が

You should take your umbrella.

もの食うこととさよならと

 

 

最近読んでいた本二冊。

再読。

 

もの食う人びと (角川文庫)

もの食う人びと (角川文庫)

 

 

 

久しぶり、20年くらいぶりでしょうか?そんなに長い年月を経て再び読むなんて…と思いながら文庫を購入したのだけれど

読み始めてすぐに、以前よりずっとこの旅の記録が迫ってくるように感じられた。

 

この20年ほどの間に起こったこと、変わったこと、変わらないこと…色々あるだろうけれど

飢え、戦争、紛争、宗教、人種、民族…この本に書かれていることは今起こっていることのよう、というより

20年前にもあったことが、時間の経過や変化はあっても続いているからかもしれない。

問題は解決するどころかどんどん複雑に大きくなる一方…

20年、まったく何をやってきたんだろう…と呆然とするくらいに。

 

 

飽食の時代だった日本から旅立ち、いきなり始まるのは「残飯を食らう」バングラディシュ、ダッカ駅の風景。

ひょっとして二十年前の日本では、この本を評価する人が多くいた一方で、わざわざそんな場所へ出かけ記録してくることを悪趣味だと思った人もいたのかもしれないとふと思った。

あまりにも遠過ぎたのかもしれない、そういう風に思った人の中では。

飢餓なんていう言葉はあまりに遠く、ありもしない不安を煽るために、わざわざ貧しく飢える人々を描くことで納得させようとしているんじゃないかと穿った見かたをしたんじゃないか、と。

でもそれも仕方のなかったことなのかもしれない。

この本の冒頭で旅立とうとしている著者の言う曖昧な不安は、今は多くの人が、そう曖昧にでもなく感じているんじゃないかなと思う。

 

 

残飯から始まって、それぞれの土地のことや食べ物はけっこうパンチが効いていて

ボディブローのように身体にずしんとくる気がするけれど

読んで食欲がなくなるか?

と言えば、ううん、私はむしろ猛烈に食べたい、と思った。

 

著者の真似のようなことをしようというのでも、読んだことを忘れたくて正反対のものをというのでもなく

例えば、肉のスープ、家にある肉と野菜をとにかく放り込んで、ぐつぐつと、ただ塩だけで味付けたような

何でもないようでストレートに人を温め、腹を満たし、力強く生かすような食。

そういうものを無闇と食べたくて、たまらなくなっていた。

本能的に生きたい、食べなくてはと、もしかしたら身体が思ったのかもしれない。

 

どこにいて何をしていようと人の腹はへり、食べる。食べなければ生きていけない。 

文明の発達で遠い場所が近くなったわけではない、でも日々どこかで起こっている情報として飛び込んでくることは、同じ「もの食う人々」の話、無理に関心を持つようなことでもないけれど、まるきりの無関係でもない。

 

 

人々はいま、どこで、なにを、どんな顔して食っているのか。

 

 

言葉や文化も肌の色、食べるものも違っても、少なくとも、同じようにもの食う、食わずにはいられない人々の姿を読むことで

何かが解決に結びつくような話ではないと思うけれど

少なくとも知らないことからくる意味のない恐れや憎しみは持つ必要はなくなるんじゃないかと思ったり。

同じようにものを食べ、食べられない不安には怯え、食べているけれど紛争の為に止まってしまった列車で二年間閉じ込められどこにも行けないままの中で暮らし食べている人、攻撃で家族を亡くしたった一人銃撃の跡だらけの廃墟のような家から離れることも出来ずろくに見えない目でいつのものかもわからない食材を食べる老婆、難民キャンプに暮らし配給される食糧もあるものの食料不足の地元住民に妬まれ怒られそれでも行く場所もない人々…

様々な姿を知っていくと、たとえば国というような大きく単純な切り取り方で単純に人を判断したり憎んだり、出来なくなってしまう。

だって誰も生まれてくる場所とか選べない、選んで生きることは出来てもある日を境にその場所がガラリと変わっちゃったとか、あるいは望まなくてもそこから外れることも誰にでも起こりうるとか…

当たり前のように思えることが、ぜんぜんそんなの前提にないという人もいるだろうとは思うけれど、私はやっぱりみんなそうじゃないの?と思うから。

 

大きな力のようなものにはならない、また別のものだと思うけれど、意味のないことではないんじゃないのかなと思う。

それがわかったからってどうしようもないこと、頭を抱えることもいっぱいあるんだけれど。

 

知らないことがいっぱいある、と思うと悲しくなる人もいるのかもしれないけれど、まだいっぱい知ることの出来ることがある、とはいうのは個人的なことで言えば喜びと、せいぜい自分がこんなものという身の丈がわかるような気がしていいと思う。

身の丈こんだけしかない、という嘆きはあるんだけど、無力を感じたりすると、何か出来ると思っていた自分に気がついて拳骨くらって目が覚めたようで、嘆いてる暇に出来ることしよう、と少しはシャキッとする。

 

 

 

 

 

 

うってかわってミステリー。

昨年 id:naox21 さんの記事で


逢えないと思っていた主人公に再び逢えると嬉しい - ネットタイガー

 

久しぶりのシリーズ新刊が出ていることを知り

やった!と舞い上がっていたのものに、書店で巡りあうことができました。

本当に嬉しいですよね。

やっと会えたね…言わないけど頬ずりしそうでした、主人公に再会できる喜びに。

喜びのあまり、積んでいた本より先に読んでしまいました…

若竹七海の描く探偵・葉村晶が主人公の、13年ぶりの文庫書き下ろしの長編。

 

さよならの手口 (文春文庫)

さよならの手口 (文春文庫)

 

 

 

いわゆる名探偵というような霞を食べて生きていそうな存在ではなく、調査所に所属し、日々の仕事は家出娘の捜索だの、地味に地道で現実的な探偵という職業についていた葉村晶。

なぜ過去形?…ということは本書の冒頭から、そうなったいきさつから今現在まで、本人の口から語られているので、お読みください、という話だけれど

その過去と現在の立場が違う為に、今作ではずいぶんとまたやっかいで理不尽といっていい目にもあわざるを得なくなるのだけれど…

 

 

ミステリーなのであまりあれこれ書かないほうがいいと思うけれど 

この葉村晶という探偵はどうもある種の、トラブルメイカーというよりもう「その人そのものがトラブル」というような人々を、どうやら、引き寄せる、あるいは発見してしまわずにはいられないらしい。

 

職業柄、犯罪や悪意に関わる、触れることが自然と多いというだけでなく

別に極度のお人好しでもない、女性が主人公のハードボイルドものの系譜にもつらなるような人だと思うけれど

そういうトラブルの匂いや、火種を抱えた人物にやたらと敏感で、気付いてしまえばみすみす見過ごせないくらいには、職業的な倫理観だけでなく、どこか人として真っ当な感覚を持った人のような気がしている。

それと、葉村晶自身の過去にも関係しているのかもしれないけれど…

 

そんな探偵、人々、事件だから、華麗なる犯罪、芸術的なトリック…というようなミステリーではなく

けれどこの地上、俗世に生きる私にはフィクションとはいえ、肌身に恐ろしく感じるような悪意、後味といいスッキリとはしないものの残るシリーズでもあるのだけれど

13年ぶりの新作だけれど、13年前の「悪いうさぎ」ほど胸糞悪くなるような後味ではなかったと思う。

これはやっぱり自らもやむなくとはいえ巻き込まれてはいくけれど、心情的な距離のとり方とかが、バージョンアップ、というか少しは成長した葉村晶なのかなと思ったり…

そんな後味に、で、これってここから新たに始まる新展開の起点だから、ということだったらいいなと心から思う。

 

シリーズとはいえ過去作は読んでいなくてもぜんぜん無問題、でも気に入ったら後から読んでもより楽しいよ、と思う。

いや事件や悪意は楽しくなんかない、想像もつかない驚天動地の大事件ではなく、あったって不思議じゃないから心が冷える「いや~な感じ」…そんな悪意が絶妙な作家、シリーズだと思うので。

でもそれに立ち向かう葉村晶の行動、姿は、小さな希望も残していってくれる気がします。

あの13年前の事件の後、やがて葉村晶の安らかな眠りを守ってくれるようになった小さな贈り物は、ちっとも完璧なんかではなく、ミスもすれば、感情的に突っ走りもするけれど、それでも見て見ぬふりは出来ないと行動する、そんな葉村晶という女性への、ささやかだけれど感謝と信頼のプレゼントだったんじゃないかなと思う。

 

 

葉村晶シリーズは以下の順。

 

プレゼント (中公文庫)

プレゼント (中公文庫)

 

 

 

依頼人は死んだ (文春文庫)

依頼人は死んだ (文春文庫)

 

 

 

悪いうさぎ (文春文庫)

悪いうさぎ (文春文庫)

 

 

 

図書館でふと見たら「悪いうさぎ」の傷みが最も激しかった、ということはもしかして一番人気なのかな?と思うけれど、個人的には「依頼人は死んだ」が一番お気に入りかもしれない。

 

 

 

 

以下は葉村晶シリーズではありませんが 

若竹七海はこの辺りから読んでいるのだけれど

心のなかの冷たい何か (創元推理文庫)

心のなかの冷たい何か (創元推理文庫)

 

 

 日常の謎ものになるのだろうか?連作短編のミステリーや

 

サンタクロースのせいにしよう (集英社文庫)

サンタクロースのせいにしよう (集英社文庫)

 

 

 

これはちょっと風変わりな連作短編、異能の力も出て来るミステリーだけれど、何だかとても好きだった。

 

製造迷夢: 〈新装版〉 (徳間文庫)

製造迷夢: 〈新装版〉 (徳間文庫)

 

 

 

新装版、とあるのでこれに出て来るかどうかはわかりませんが、元の本には確か、このタイトルの由来も書いていたような気がする。

製造迷夢、というタイトルは実は香港ポップス、シャーリー・クワン(關淑怡)の歌っていた曲「製造迷夢」から、とのこと。

そういえばこの曲のミュージックビデオも、今となっては物凄く時代を感じるけれど、どこか神秘的な歌声と曲に、ミステリアスな夢の中を彷徨うような謎めいた雰囲気でした。

シャーリー・クワン(クァン、とも)は、ウォン・カーウァイ監督のとある映画で撮影したシーンを全カットされる…というヒドイ目にもあっているけれど、同監督の「天使の涙」ではバーのシーンで流れる「忘記他」を歌っている。

原曲はテレサ・テン、彼を忘れなきゃ…という切ないバラードだけれど、シャーリーが歌うとスタイリッシュだけれどやっぱりなんだか妖艶なのもよかった。

 

 

それを求めて読んだわけではないけれど、あら、やっぱり求めていれば巡りあうのかしら、というようなことは本との出逢いでもあるのかもと思えることって、それもまた嬉しい。

というわけでミステリーを読んでミステリー作家として好きになった若竹七海だったけれど

 

マレー半島すちゃらか紀行 (新潮文庫)

マレー半島すちゃらか紀行 (新潮文庫)

 

 

もう一人の「七海」さんこと加門七海らとともに旅したマレー旅行記も大変おもしろくいただきました。

おもしろかった!と思う本って「ごちそうさまでした!」と言いたくなっちゃう…

トラブルにつぐトラブル、なのに「問題ない」と常に言いはるマレーの人々に、アジアだなぁ…と感じ、それに翻弄されつつ笑いにしてしまう女3人の道中にこちらも爆笑。

この場所、この人たち、の味わい深く美味しい本でした。

 

 

 

そして私は積読にまた手を伸ばしつつ、しかしもの食うこと大事と言っておきながら、やっぱり夜ご飯はあんまり食べない生活に戻ろうと思い中。

もともと朝少し、昼しっかり食べていると、夜あんまり要らない、だけどお正月からみんなでダラダラと食べていたからか、変にお腹が空く気がして、夜も食べろと身体が言ってるのかしら?とちょっと食べていたのだけど

やっぱり胃がおかしくなったり、夜食べないほうがぜんぜん楽に思えたので、しばらくまた止めて様子を見てみようとしているのだ。

だからタイトルは下手な感じになってしまっているけれど、そんな感じで1月の終わりを迎えようとしているのです。