白いしるし
文庫のキャンペーンでついてる帯に「胸キュン」と大きく書かれていてレジに持って行くのに手が震えましたが(色も派手に…)
だから可愛らしい話かいな…と読み始めたのですが…
なんかもの凄いスピードで読んでしまっていた本。
西加奈子という名前を何年か前に知って読もう読もう…と思いながら何年も経って、去年やっと「円卓」を読んだ。
かっかわいい!
けど甲高いようなテンションできゃぁかわい~!とか言ったら気難しげに怒りだしそうな小学三年生の「こっこ」こと渦原琴子とその三つ子のお姉ちゃんら、祖父と祖母と父と母、香田めぐみさん、そしてぽっさん。あ、玉坂部長も。
味だらけの人々に囲まれて、小さいけれど自分なりにしっかりとあれこれ見ては一日の間に何度となく一喜一憂して、それでもまだ見足りなさそうにくるくると動く子供の目から見た日常は
小さな世界のようで、仔細に見て感じていれば果てがないほど広く大きい、こんなに膨大だったんだなぁと思う。
そりゃあ一日が長かったはずだ。
日常からはぐれた穴のような所に落ちても、また歩む速度の増していくたくましさは、愛情と凶暴なくらいの生命力の賜物かもしれない。
子供という生き物。
素晴らしいだけのものでも、特別なものでもない、だってにんげんだもの。ちょっと小さいだけ。
けれど、こっこの担任教師が夏休み明けの教室で夏のたった一ヵ月半で劇的に変化した子供らを前に、その圧倒的な変化に怯えにも似た感情を抱くのに大いに納得してしまう。
誰でも子供だったはずなのに。忘れてしまうから?
自分が子供の時どんなだったか?どんなことを見て、何を思って、考えてた?
子供がものを考えるなんて大人は思ってもいないんだろうと、こっこのように小さな頭をふりふりいっちょまえに嘆いたりしていなかったろうか?
子供には子供の考えや気持ちがある、鮮やかに描かれるこっこたちの泣き笑いに、当たり前のことだけど忘れているその実感みたいなものが、ちょっと甦ったような気がした。
可愛い、楽しい、面白い、でもちょっとせつない…早く大人になりたいと願うぽっさんにじぃぃぃぃぃん…
だからまた西加奈子の本を…と言いたいけれど、本当ははじめはねこの表紙に、またも釣られた。フラフラと吸い寄せられるように手に取って、あ西加奈子と…
最近なんかもう悔しい。
ふと気がつくと色んなコマーシャルにねこねこねこねこ…釣られるとお思いか?…と悪態をつきながら…二重窓って温かいのかな…とか気がつくと口走っているし…
…家に私が居るじゃない…そんな人の気を引くようなことはちっとも言いそうにないのが猫のいいところだと思うけれど
いくらうちのねこが知らん顔してくれるとはいえ
なぜこんなにフラフラと吸い寄せられてしまうんだ…一匹愛したくらいではまだ足りないと、ねこ神様が試練でも与えてくれてるんだろうか…
などと適当なことを言いながら表紙に釣られて読み始めたのでしたが
ポンポンポンとリズムに乗せられ、あっという間に疾走するように駆け抜けていく恋の後姿をポカンと見送ったあと、あれなんか落ちてる…残していったのか落し物か、どっち…と思いながらとりあえず手に持ってしまったように残っていたみたい。
こっこと違って、大人の小説だ。それなりに年相応の…もういい大人だと自分で思う、
だけどもっと年をとったら「めちゃくちゃ若かったやん」とあとで思うような年齢かもしれない。若い大人。
でもあまり年齢そのものにとらわれることがないのは、主人公の夏目は絵を描きながらバイトを続けていて、周りにもそんな人がたくさんいるという生活、環境だからかもしれない。
そんな夏目が、一枚の絵と描いた男に一瞬にして「あかん人」になって、でももう会わんとこと思うのも、だから年齢とかの問題ではなく、
恋愛の時の自分を「あかん人」と呼ぶ、あかん自分をよくわかってる、つまり懲りてもいるからで。
あぁそれなのにそれなのに。
逡巡しながらもう行動に出てしまう、自分の心臓の音ばっかり大きくなって、止める自分の声がどんどん届かなくなって、耳を塞がれたようになっていく。
塞いでるのは自分だけど、あかん、あかん、あかん…自分がいくら言ってもちっとも言うこと聞かないのって
なんと気持ちの良いことでしょう。
止まらない会話に、始まっていく時の高まり。
いくら「あかん」かろうと、あかんことの心地の良さそうなこと。止めてるけど、もしかしてコントロール効かないことほど思いがけなく楽しいことはないんじゃないか?と思ってしまうほど。
そんな夏目に記憶の欠片を揺り起こされ、思わず電車の中でニマニマしそうになったのだけれど
突然のようにブレーキがかかって…
それでも駆けて行く夏目の走りっぷりに、頁をめくる手は止められなかった。
表紙のねこも、可愛らしいけど見てると、その顔がふと気になってくる。覗き込んだらどんな顔をしてるんだろう?
小さな背中、微かな毛の震え。柔らかな毛の内側、しなやかでやっぱり柔らかな、だけどよく動く身体があり、その中に小さくても確かに脈打ったり何かを考えたり動かしたりするものがあって
人とは形が違っても、柔らかな心か魂のようなものもあるんじゃないかと
時々ビックリさせられるような顔や行動に思うことがあるけれど
そんなものがあるなら、うっかり覗き見てしまってごめん、と思うことも、見たことを後悔しようか反省しようか
どうしよう、と途方にくれてしまう顔をねこもしていることがあるんだろうか?
人の思いを乗せられて、そんなこと知らないようで、ねこは何思う。
人という生き物も何を思うのだろう。自分も人だけどそのわからなさがわかるような。
何思おうと、裏切られる、勝てないのは自分になんだろか。
物凄いスピードで読み終えたけれど、あとに残ったのは引き返せない男の影か、走り抜けていった女の残像のような影か。
キュンというのじゃないだろうと思ったけれど、
去年の夏に読んだ本がもう一冊読んでやっと出てきた人とは思えないスピードで読んでしまって、小さな影を残していったような恋愛小説でした。
関西の出だけれど、離れて暮らしているうちにちょっと怖いとか笑われたりとかして、少しずつマイルドにマイルドに…なって角はとれたかもしれないけれど、どこ弁とも言えない、なんとなく関西弁、のような曖昧な感じになっているのだけど
関西の言葉の出てくる小説や本を見てると、そんなのでも引っ張られるように出てきてしまう。
西加奈子の言葉はポンポンとリズム良く、でもうつるというより、読み終わるとこれも残っていたという感じがする。
関西のといえば思い出すのはやっぱり田辺聖子だけれど全然タイプは違うけれど、お聖さんがこの小説を読んだらどう思うだろう?とふと思った。
ザッパーンと落ちるように飛び込んで、めちゃくちゃだけど泳いで渡ろうと、そのうちびちゃびちゃのまま全力疾走しだしたわ、この子。トライアスロンか?と思うような
全身全霊で恋して愛したような女を
田辺聖子はどんな目で見るだろう?と
とても知りたい。気になる。
田辺聖子の恋愛小説は、じんわりせつなかったり、愛しかったり、怖かったり、グッときたり、ほわんと解いてくれたと思うと、電車で読んだら笑いを堪えるのに苦労する抱腹絶倒…
自在のように心が揺らされ、関西の言葉の豊かさを、女のいいとこ怖いとこ、男のそれも以下同文、人の本当に感じるような
長編も色々あるけど短編集も色んなカラー、色んなもようが一冊に詰まって、お得におもしろい。
百合と腹巻―Tanabe Seiko Collection〈1〉 (ポプラ文庫)
- 作者: 田辺聖子
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河内弁の男に笑いすぎて痛くて辛くなるほど笑わされたのは、この中の一編だったろうか?
ちょっとタイトルが曖昧、忘れたくても思い出せませんすみませんが、この短編集も彩り豊かにおもしろかったはずと思います。
たくさん読んでどれがどれだったか?混乱するのはまだ仕方ないとして(してください)でも私はよく短編集と長編がごっちゃになるというかよく間違えるのはなぜ?
この「白いしるし」もなぜか短編集だと思い込んで、電車で読むのにちょうどいい、と思って持っていったら違っていて驚いた。
でも長さを感じさせない本で一気に読んでしまったのだけど、なんでそんなところをよく間違えるか…自分の頭に一番驚く春の宵でした。