六月に雨が

You should take your umbrella.

season of fresh green

 

 

 

 緑に緑が緑で・・・緑の写真が続きます。

 

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まぶしい緑。

でも家の近くと山のほうでそんなに風景は変わらない気がする…というか変わらない。ドアを開ければ山林木草山…以下繰り返し。

なのにどうしてより茂ってるところを求める、なぜわざわざ行きたいんだろう?と思ったけれど

誰もいな~い、ただ緑だけがいやになるほどある~、という所で一人ぶらぶら彷徨っていたい。一人じゃなくても行ったら基本はそれぞれ自由行動。

 

だから私はまた上を向いたり下を見たりして、神経の損傷から足の感覚がちゃんとは戻ってないところもあるので足元には注意しつつ、あっちへこっちへ気の向くまま歩いて歩き回ってはスナップを撮りまくっている。

右手は右手で簡単にいうと手を前に延ばすと手の平をなんとか上下に向けられるけれど、肘を曲げると手の平はそこまで動かないけれど日常生活にはそれほど不自由はない、レジで釣りを受け取るのにちょっと受け取りにくいくらい。ただカメラは肘を脇につけて固定してブレないようにしましょう、という基本がそもそも出来ない。

だからか自然と私は好き勝手にデタラメに首がもげるほど上を向いたりブンブンとカメラ振り回したり「なんでそれを撮るの?」と言われても「…さあ?」としか言えないものとかをガシガシ撮っている。

なんかよくわからないんだけどこう見たこれを切り取りたいの、とそれだけの気持ちで、それは私の行ったところ、見て思ったことの代わりのような日記のようなものになる。

 

でも行けば写真に撮るけれど、為に行くのではなく、こんな中をふらふら彷徨う為に写真を撮ってるという感じもする。

森林浴があー、と言う話の実際のところなんて知らない、ただ私は行ったらなんか落ち着く。

穏やかに滑らかに、まるでぜんぶ洗い流されたような気持ちになる。

これがいい、てんじゃなくて、誰にでもそれぞれ形を変えてこういうことあるんじゃないかな?と思ってる。

 

ただ気持ちはそうしてツルツルのようになる代わり、今回は肘から下がボコボコにされていた。うっかり虫除け塗り忘れたばっかりに、やぶ蚊の脅威に「痒い!痒い!ムヒ!」林に声を響かせ

塗りたくった後はムヒは本当にエライとムヒのことばかり口走って台無しにしていたけれど。

 

 

というようなことでまた同じような山とか林とか草とか樹とか、とにかく緑がしばらく続くかもしれません。

どれくらい続くかは今月の使用量が主に決定する、のではないかと思います。

考えて画像や容量を小さくしたりもしているのだけれど、見にくい。自分の目で見やすいかどうかが基準になっているので使用量だけには合わせていられないの。

森林浴の効果のホントはわからないけれど、これだけは言える。目を一時的に休ませる効果はあるのかもしれないけれど、緑ばかりに囲まれていても何もかも見違えて見えるわ、まるで世界が変わったよう!ラ~ララ~♪…となったりはしません。