六月に雨が

You should take your umbrella.

dull blue

 

 

 

 

 

 f:id:amenomorino:20150709200248j:plain

 

 

 

 

 

f:id:amenomorino:20150709200352j:plain

 

 

 

 

 

f:id:amenomorino:20150709200418j:plain

 

 

 

 

 

f:id:amenomorino:20150709200508j:plain

 

 

 

 

 

f:id:amenomorino:20150709200424j:plain

 

 

 

 

 

f:id:amenomorino:20150709200431j:plain

 

 

 

 

 

f:id:amenomorino:20150709200437j:plain

 

 

 

どうして夏支度にタオルケットとか出そうとした日から雨ばかりよ?と思いつつ、降ってない時も光が鈍い天候続きだけれど

でも夏の空は鈍いけど重くない、今日も空ぜんぶ雲に覆われていたけれどふわっとして柔らかい、とても美味しそうに見えた。

 

ただ私のデジカメはやはり光に左右され過ぎるらしい、同じような距離で撮ってもピントが合わない、合わない。

光の量とズームするマクロにはなんらかの関係があるらしい…と思っているのですがそれ以上どうにかしようというのは今のところなく

ピカンと晴れたらきっとまたそう思ったことすら、どっか行っちゃってる気もしています。

 

この間

labs.wanokoto.jp

 

というのがあったので遊んでいた。

 

f:id:amenomorino:20150709201422j:plain

 

 

 

 

 

f:id:amenomorino:20150709201429j:plain

 

 

 

 

 

f:id:amenomorino:20150709201437j:plain

 

 

 

 

 

f:id:amenomorino:20150709201447j:plain

 

 

 

 

 

f:id:amenomorino:20150709201504j:plain

 

 

 

 

 

f:id:amenomorino:20150709201514j:plain

 

 

 

 

 

f:id:amenomorino:20150709201519j:plain

 

 

 

 

 

f:id:amenomorino:20150709201526j:plain

 

 

 

ハッキリしてない光景だと何がなんだかわからなくなるみたいでしたが、もとの写真をそれっぽいの選ぶとそれっぽい写真になるみたい。

でも幕末まで遡らなくても昭和の始め頃とかの写真も、今時の「超写ってる」感じの鮮やかな写真を見慣れた目からすると、こんな感じと大差ないかもしれない。

父は写真の好きな人だったらしく、そりゃもう唖然とするほどの量の写真を残しているけれど、自撮り、ではないだろうけれど時代的に考えると

だけど誰かが撮ったのか、タイマーにしても

超自分。

父自身が写ってないの、ないんじゃないの?というかなかったかも…アルバムをめくれどめくれど、どのアルバムも超父…

写真じゃなくて、自分が好きだったのかもしれない、とも思うほどだけれど、昭和の始め頃の写真にはそれこそ古色蒼然とモノクロの

少年時代なのに三つ揃いのスーツに、何ハットというんだろう?昔のアメリカ映画で男性がスーツを着て被っていたりする

クラシックに気障な感じのハットを頭に乗せていたり、

後ろの風景が日本じゃなかったり、青年になってからも仲間達とあらぬ方を向いていたり、日活か?映画気取りか?とつっこみたくなるイカした車や、海水浴場で水着にとっぽいサングラスとか…気取り方が半端なく

さすが、お風呂に入って湯船の湯が熱かったら「おーい、熱い」と母を呼ぶ、関白亭主じゃなく乳母日傘だったからそうなってしまってた人だけのことはあるなと思う。

 

 

私の記憶にあるのはすでに頭部が…けがなくてよかったね *1 の父だったけれど

形見分けしようとしていた時にも、その年代にしてはのっぽさん185cmの体ピッタリに仕立ててあるものばかりなうえ

テーラーで仕立てたドスキンのやダンス用らしいスーツなんて分けられても、いつどこで着るんだと大不評というか、みな困惑するばかりで

父を可愛がっていた母方の伯父の一人が「着られへんけど貰いたい」と持って帰ってくれたけれど

そんな粋でイカしたナイスな野郎を気取っていた若い日の父がおもしろく

私が生まれてからは頭部だけではなく、そんな洒落っ気の欠片も見せず、そういう面では修行僧より修行僧のようになっていたことを思うと、そのギャップも変でむずむずするけれど、何だか父という人を感じられたりする気がして時々眺めている。

もしかしてそんなギャップは、あの人も親になろう父になろうとしてしていたから、というのもあったのかもしれないと思ったりしながら。

 

昭和史を見てるみたいで、そういう意味でもおもしろいんだけれど

私のアルバムは、そんな父が自分の写真観そのままにいちいち「よそ行き」のような服を着せたがったり、動物園でサル山が見たい、いっぱいいてそれぞれ勝手に動き回っていて楽しいお猿で頭がいっぱいなのに「あらぬ方を向かせて」撮ろうとしたり…

そんなことばかりしたがるので、冷静に見て考えろ、そんな大昔の少女雑誌のモデルのような服やポーズが、どこでも「ぼく」と間違われてる子に似合うわけないでしょうがよ、と見事にだんだん写真そのものまでもが嫌いになっていったので少なく

母はもともと写真なんかに興味はないらしく、戦後すぐの国民学校のや少女時代の写真が少しある程度だったけれど、

父のアルバムに、なんか不自然な形で父だけが残っている幾葉かの写真は、実は母の手によって切り取られたものだったみたいで、切り取られたほうの人、つまり女性だったんだろう、にキーッとショッカーみたいになってそんなことしてたの…と思うと

 

風呂場から「おーい、熱い」と父が言うと「手ないんか?あるやろ!」(自分の手で調整しろの意)と言ってたような人だったので、なんで写真にだけやきもち妬くのん?と思うものの、やっぱりそういう面もあったのねと、それもまた知ってる人の知らない顔のようで、こうしてあれこれ思ったり、思い出せるキーのような写真残してくれていてよかった、と思う。