給自己的歌
給自己的歌 縦貫線(李宗盛)
ある日インタビューを見ていたら 「自分の事をスター歌手だなんて思った事はない」とジョナサン・リーが話していた。
今までずっと自分のことをプロデューサー、作り手と思ってきたけれど
縦貫線の前、理性與感性(作品音樂會)という(今まで他人に提供してきた曲を自分でも歌った)ライブの時に、今まで幕後で自分が作ってきた歌をどういう人が好きなんだろうと、客席にいる人達をいつも見ていて、あぁ、あなただったのか、この人達が今まで自分の歌を聴いてくれていたのかと感じたり改めて色々と思った、というような話をしていて
李宗盛といえば台湾を代表するコンポーザーで製作人だけれど、人前にも十分に出ているし、後ろでの仕事は仕事として、創作歌手としての自分というようなものを持っている幕前の人だと思っていたのだけれど
ご本人の意識的にはそうじゃなかったという話に、こちらの勝手な思い込みだったとはいえ少し驚いたんだけど
でもそう言われてみると確かに李宗盛のボーカルには独特の味があって良いんだけど、別の人の為に作った曲にはやっぱり別の人の歌声のほうが合っているなと良い悪いじゃなくあまりにも違い過ぎることに、なんだか愕然としたこともあったりしていたなぁと思い出したり。だからこそ凄い作者、制作人だったんでしょうけど
でもそうして出来た立場も既に十分あるような人がまた新たな経験を経て、これは李宗盛にしか歌えないだろう、李宗盛が歌っているからこそいい曲を歌っているんだなと納得もして
”縦貫線が終わって帰って来た時
自分は彼らに何を言おうか?
李宗盛は十年間何をやってた?
頭の中は?
どんな経験をしてきたかすべて一つの曲にしなければ。
だからずっと省いていたよ
すべての言葉、フレーズは
この歌の中で自分が言う(歌う)ことかどうかって
だから全部省き終わった時
それから歌っている時
ぼくの心は狂跳した。
これは彼らへのもっとも真面目な贈り物だと言えると感じた。”
そんな話をしていた(と思う)のがとても印象に残った。
何回結婚したんだったっけ?というような経験あればこそ”好幾年都問不得女人香~”なんて歌詞も沁みてくるんだけど どちらかといえば、愛の思い出にもまったくロマンチックにでもないことを言ってる、酔ってもなければ 酔わせる気もないような曲なんだけど、でもこの年齢でキャリアで、今の自分にこういう歌をこうして歌ってるというのがかっこいいことだと心底思いつつ、去年はけっこう長い間 この歌に聴き入っていたのでした。
(2010~2013に買っていた音楽)