六月に雨が

You should take your umbrella.

チャイニーズ・オデッセイ

 

『少林サッカー』監督最新作は「西遊記」!11月日本公開 - シネマトゥデイ

 

西遊記~はじまりのはじまり~」見てきていましたよ。

今度の新作である西遊記

  • 監督はチャウ・シンチー(周星馳)と、「燃えよ!じじぃドラゴン 龍虎激闘」「野。良犬」などの監督であるデレク・クォック(郭子健)。
  • チャウ・シンチーは出演はしていない。
  • 出演はウェン・ジャン(文章)スー・チー(舒淇)ホアン・ボー(黄渤)ショウ・ルオ(羅志祥)など。宮廷の諍い女の祺貴人もちょっとだけ出ている。
  • 西遊記~はじまりのはじまり~』という邦題になるほどなぁと思った。つまり西遊記という旅の物語が始まっていくまでの物語、でした。

感想なのですが

先日読んだ ごくま @mtchac (id:go_kuma)  さんの


【ネタバレ】西遊記~はじまりのはじまり~ 観てきました【バレバレ】 - ごくまトリックス

 

読んでもうその通り!と感激、嬉しくなりました。もう私何もいうことないです。

 

個人的にはヒロイン・段を演じたスー・チーがもう大好きでとにかく可愛い、妖怪ハンターの役だけれどあなたが妖怪では?と思うほど、いつまで可愛いんだと、「おかえり~」と言いたいほど久々でしたが90年代後半からまったく変わらぬファニーな魅力に失神しそうでしたが

とてもシンチーらしい解釈による西遊記であったように思う。映画監督としてのシンチーを感じた映画鑑賞だった、のですが監督シンチーを堪能したなら、その後はやっぱり俳優シンチーも見たくてたまらなくなる…

 

 

ということで新作・西遊記が、三蔵法師は如何にして三蔵法師となって、西遊記という旅は始まったのか?という物語なら

1995年のジェフ・ラウ監督チャウ・シンチー主演の西遊記「チャイニーズ・オデッセイ」は、孫悟空は如何にして孫悟空となったのか?その心の旅を描いた映画だったのかもしれないなぁという話。

 

 

 

 

私が見た時はたしか

「Part1 月光の恋」(原題:西遊記第壹佰零壹回之月光寶盒)

「Part2 永遠の恋」(原題:西遊記大結局之仙履奇緣)

というタイトルがそれぞれついていたと思いますが中身は同じ、
この2本でそのまま話は続いていて<其の壱><其の弐> あわせて一つの映画

なので長い。

けれど冒頭から話はスピーディーに、ギャグやアクションが連打され、チャウ・シンチーの大活躍が堪能できるので、無駄に長くは少しも感じなかった。

(好みはあるとは思いますが。最近の映画がコテコテならもうコッテコテコテコテ…に感じるかも。)

 

 

以下はそんな古い映画のネタバレバレです。しかも大変な長さ。長い話の、多分わかりにくいだろうなぁ、と思う所を自分でわかる範囲で「こういう話だったの」って書いていたら約7000字にもなっちゃった…だからすごく興味か、もうお暇があって大変だという方はよかったら。

ということで以下は畳みます。

 

 

 

チャイニーズ・オデッセイ

 

この映画は孫悟空(チャウ・シンチー)が、観世音菩薩によって罰せられようとしているところから始まる。

 

徳の高い僧を喰らおうとする牛魔王と手を組んで、唐三蔵(ロー・ガーイン)の殺害を謀ったことにより罰せられようとしている孫悟空

しかし唐三蔵は「弟子の罪は師匠の責任である」と自らの命を投げうち「孫悟空を消滅させないでください」と願う。

三蔵の慈悲に免じ観世音菩薩は、500年後の世に孫悟空を人間として生まれ変わらせることで、今一度だけ機会を与えることとする。

 

 

唐三蔵はそのまま日本でいう三蔵法師で、唐代の僧・玄奘三蔵。この映画では孫悟空が「顔の周りを飛び回る蠅のようにうるさい」と癇癪を爆発させるほど、慈愛が溢れ過ぎ、仏の教えを説き過ぎる、やや誇張気味の可笑しな師父(お師匠さん)として登場する。

冒頭で弟子である孫悟空の為に自らの命を投げ打つが、後の世に同じく現れることは約束されている。

 

そして主人公である孫悟空。一目でシンチーと分からないほど、姿かたちは見慣れた孫悟空の姿であるものの、苛立たしげに牙を剥く様は妖、猿の精そのもの。

500年、と言えばそれは孫悟空が傲慢な行いから、岩に閉じ込められていた時間と同じだけれど、そこから出してくれた三蔵の、仏の弟子となったはずが、この孫悟空、少しも懲りていなかったのか、西域(天竺)への旅と説教くさい三蔵を嫌がって殺害を企て、それを咎める菩薩にも平然と歯向かい、罵詈雑言を吐き挑もうとする不敵な猿。

 

 

そんな孫悟空がこの冒頭で菩薩から「逃れようと盗んだ」と言われ投げ捨てるのが「月光寶盒」という「月の光の下で仏語(般若波羅蜜)を唱えることで時空を超える力を持つ」という宝物。原題にも入っているように、これが後々物語の要になっていく。

 

ともあれ菩薩の手に捕らえられた孫悟空、人として生まれ変わることになる500年後に場面は移る。

 

500年後。人影一つない砂漠の道を五嶽山へとやってくる一人の美女がいた。たどり着くのは宿とは名ばかりの、二當家(ン・マンタ)たち山賊の住処。そんな荒くれ者たちを恐れもしない美女は、江湖に名高い女侠・春三十娘(ナム・キッイン)である。

その桃の花の刺青を見た盗賊ども、慌てて急を告げに向かうのは、昼日中から怠惰な風情で寝そべる山賊たちの幇主・至尊宝(チャウ・シンチー)の元だった。

乱暴者で手下たちにも「春三十娘が来たからなんだ!」と当り散らすが、以前負った怪我により目は霞み、手下を殴ろうとする拳は空を切り、怒鳴りつけている相手は犬・・・手下の一人・盲炳(ジョニー・コン)が「もう長くないんじゃ…」と同情するほどの情けない有様。

 

山賊一同を率いて春三十娘の元へ向かうも、あっという間に降参、命じられるまま足の裏まで差し出して点検されるものの

春三十娘が探している「足の裏に3つの痣を持つ男」は

だが至尊宝はじめ、山賊たちの誰にも見つからなかった。

 

その夜山賊たちの前に、大蜘蛛の妖怪が現れる。

大混乱、大騒動の末に、あの奇怪な春三十娘こそが妖しいのでは…と乗り込んだ至尊宝は、そこで出会ったもう一人の美女・白晶晶(カレン・モク)に、一目で恋に落ちる。

 

これは七傷拳という武侠小説の大家・金庸武侠小説 倚天屠龍記 - Wikipedia に登場する技で負ったという怪我。この映画中では「最初に目がおかしくなり、続いて耳が聴こえなくなり、声が調子っ外れになって、最後には五臓六腑が爆発して死に至る!」と表現されている。とにかく凄まじい技のよう。

山賊の手下・二當家として登場するン・マンタ(呉孟達)は、「少林サッカー」では「黄金右脚」だったおじさん。チャウ・シンチー映画ではお馴染みのベテラン俳優。

今は情けない山賊の手下なものの、ジョニー・コン(江約誠)が演じている盲炳と共に、後に違う姿で登場し、彼らもまた運命により至尊宝と行動を共にしていたことが分る。

 

 

新作ではスー・チー一人が担っていたヒロインだったけれど、この映画には三人の忘れられない美しい女達が登場する。

まず現れた、あだっぽい姐御である春三十娘。腕だけでなく気も強くどこか残忍な香りのするこの女侠に、キッとした目とハスキーな声のナム・キッイン(藍潔瑛)が見事なくらいハマっていて、その容赦ない抜群の身のこなしにも目を奪われる。

白晶晶のカレン・モク(莫文蔚)はこの映画当時はまだ新人と紹介されていたけれど、その新鮮さ、可憐さ、春三十娘に負けない気の強さ妖しさと、多面的な女性像で魅力を発揮するヒロイン。

二人の女は互いを「師姐」「師妹」と呼び合っていて、師匠を同じくする弟子どうし。けれど、二人の間には棘があり、やがてその正体と共に積年の因縁も明らかになっていく。

 

二人の女の目的は、この地にもうすぐ出現するという唐三蔵であった。春三十娘が探す「足の裏に3つの痣がある男」こそが孫悟空の生まれ変わりで、孫悟空を見つければ、三蔵は必ずや孫悟空の元に現れる。

 

証は見つからないものの、至尊宝がヒゲを落とした顔に孫悟空の面影を見た白晶晶は動揺を隠せない。

500年前孫悟空と恋をし、裏切られた過去を思い出し憂う晶晶と、その恋情を蔑み嘲笑うかのように挑発する春三十娘。

500年前からの浅からぬ因縁が浮かび上がり、孫悟空の生まれ変わりという謎を挟んで、二人の女の間に緊張の糸が張り詰める。

 

その頃五嶽山に菩提祖師(ジェフ・ラウ)がやって来る。

 

 

菩提祖师 - 维基百科,自由的百科全书 によると

”基本的に道教にも精通した仏教上の仙人の姿として描かれていて、その原形はお釈迦様の十大弟子の一人で第一番目の弟子である須菩提祖師”とある、

孫悟空の師匠は三蔵でしょう?と思いきや、西遊記でそもそも孫悟空に術を教え、名づけ親でもあるのがこの菩提祖師。

映画中では詳しい説明がされるわけではなくいきなり登場するので「誰なんだ?」となる人も多いけれど、たぶん日本でいうなら「水戸黄門には助さん角さん」のように、「西遊記で菩提祖師」といえばそれ以上説明はなくても、言わずと知れた、というような存在のようです。

ここでは僧形風の姿で登場、演じているのは本作の監督で、別名義で脚本も手掛けているジェフ・ラウ(劉鎮偉)。

シンチーを一躍スターにした「ゴッドギャンブラー 賭聖外伝」の監督でもあり、恰幅が良く、つぶらだけれど鋭い目つきは、さすがあの孫悟空を手懐けただけのことはある、ひとくせある菩提祖師という感じ、よく似合っていると思う。

 

 

 

至尊宝の元へ「お前こそが孫悟空の生まれ変わりであり、あの女たちは唐三蔵の肉を狙って現れた妖怪だ」と告げに現れた菩提祖師。

にわかには信じようとはしない至尊宝に菩提祖師は、真の姿、本性を映すという鏡を「これを見てみろ」と渡すが、そこには至尊宝が人の姿でそのままに映るだけ。

しかし白晶晶に鏡を向けると、彼女の真の姿である妖怪・白骨の精の姿が映し出された。

 

震え上がった至尊宝は、最近悩まされていた悪夢を菩提祖師に打ち明ける。水が滴る洞窟の中、何者かの「とうとう戻ってきたのだな」という声が聞こえ、奇妙なまるで猿のような者たちに捕まえられる夢。

 

あの夢はこの妖怪達のことだったのか!と早合点すると、菩提祖師の教えに従い妖怪たちを捕らえる手はずを整えようとするが、手下である二當家は既に、やはり実は蜘蛛の精の妖怪であった春三十娘の手先として操られていた。

 

証もなく、鏡にその姿も映らない、至尊宝は孫悟空の生まれ変わりなのか?

噂を聞きつけた牛魔王までもが五嶽山に現れ、妖怪どうしの争いが始まる中、尊宝も否応無くその渦中に巻き込まれていく。

 

白骨の精、蜘蛛の精は共に西遊記の原典にも登場する妖怪。ここでは同じ師匠を持つ姉妹弟子でありながら、かつて孫悟空をまっすぐに愛し裏切られた白晶晶と、愛を知らず晶晶に複雑な感情を抱く春三十娘との間には、500年もの間の憎しみが深く絡まりもつれ、刺々しく互いを牽制しあっている。

牛魔王は日本の西遊記でもお馴染みの単純な暴れん坊。義兄弟でもあった孫悟空に裏切られたと恨み、三蔵の肉も食べたいと現れ、事態は一気に緊張と混乱を高めていく…

 

牛魔王の登場に手を組んで「我らは盤絲大仙の弟子!」と勇ましく立ち向かうも、苦戦し、とりあえず至尊宝と、二富家の二人を攫って「盤絲洞」という洞窟へと逃げる女妖怪たち。

 

諍いで、蜘蛛の精の猛毒が回りつつあった白晶晶は、共に閉じ込められた至尊宝と、過去の因縁を越えて結ばれるが、誤解の末に、再び裏切られたと思い込み自ら命を絶とうとする

 

追ってきた牛魔王と女妖怪たちとの死闘が繰り広げられる中、至尊宝は洞窟で拾った「月光寶盒」の力を使い、時を遡ることで救おうとするのだが…

 

時空を超える最中、あの幾度も夢に見た、水の滴る洞窟の中、菩薩から告げられる

彼が真実何者であり、何を成さなければならない運命なのか・・・

逆おうとしながらも、菩薩の言葉が尊宝の心に刻まれていく・・・

 

 

気がつくと、元の盤絲洞ではなく「水簾洞」と書かれた洞窟の中。

呆然と、何が起こったのかもわからぬ至尊宝の前に現れたのは、天界から逃亡してきた紫霞仙子(アテナ・チュウ)。

 

彼女は「月光寶盒」を奪うと「この洞窟も、お前も、今日から私のものだ」

洞窟の名前を改め、自らを「盤絲大仙」として封じると、至尊宝の足の裏に仙術を用いて印をつける。

その印こそ、あの生まれ変わりの証、三つの痣_______

 

 

「水簾洞」は西遊記の原典では、それを勇敢に発見したことから他の猿から尊敬され「美猴王」と呼ばれるようになったという、猿の王・孫悟空が生まれた重要な場所。

 

 

その洞窟の前で、至尊宝の前に現れた紫霞という仙女は、この映画オリジナルの登場人物のよう。

Part1のラストにようやく登場するけれど、至尊宝と運命的に出会う、おきゃんで一途で可愛いらしいこの物語のもう一人のヒロイン。演じているのは今も香港で女神と称えられるアテナ・チュウ(朱茵)。

紫霞が自ら封じた「盤絲大仙」はあの二人の女妖怪たち、白晶晶と春三十娘の師匠の名前で、このことからも至尊宝はなぜか「500年の時を遡ってしまった」ことを知り、

話は後編へと続いていくのだけれど

 

 

紫霞という仙女は、姉妹の仲が悪く争いが絶えなかった事から、天界で姉の青霞と「二人で一つのお釈迦様の灯芯」にされていた身。

心は夢見る乙女で「運命の恋人」を求めて、この世に逃亡してきたものの、「二人で一つの身」ということからは逃れられずに、夜になるとまったく性格の違うそんな妹を愚かだと冷笑している姉の青霞が、同じ一つの身体に表れるややこしい姉妹。

 

 

そのうえ500年前に遡ってしまった為に、まだ孫悟空に裏切られてカンカンに怒っている白晶晶や、荒ぶる春三十娘なども登場し、絡みもつれあう人々の心と、「月光寶盒」、そして三蔵法師をめぐっての争いが入り乱れる中

あの「かつて牛魔王と孫悟空が唐三蔵の殺害を謀った夜」へと物語は収束していく…

 

 

それまで西遊記と言えば、師匠・三蔵との旅を通し、仏の教えとして人の心を学んでいく孫悟空を見てきたけれど

この映画では孫悟空自身が、500年の時を超え、人として生まれ変わり、人々の中で自ら人の心を知っていく姿が描かれていて

それは天下無敵のヒーローなどとは程遠い、悩み苦しみ惑う人そのものの姿でもある。

人としての心を知ってしまった今、彼は、孫悟空として衆生を救う為、旅に出ることが出来るのだろうか?

 

 

複雑に愛が描かれている映画だけれど、いわゆるラブストーリーのような「愛のハッピーエンド」ではぜんぜんない。

仏教的な話なんだろうと思うのだけれど、特に仏教的なことを知らなくても

素晴らしいものであり、身勝手な執着や欲望にも、憎悪にもなりえる…そういう愛についての、あの孫悟空に愛を教えられるような映画でもあったような。

 

 

 

もう今となっては古い映画、映像的には色々と見劣りする部分もあると思いますが、笑いあり涙ありの大エンタテイメント作であり、古い映画だからこそ知恵を活かしたアクションシーンなんかは相当いいよ、と思えます。

今度の新しい西遊記で冒険ものとしてだけではなく、心の物語を感じた人は、この映画でも製作総指揮も務めたシンチーの考える西遊記という物語を

チャウ・シンチーという俳優の魅力と共に十二分に楽しめるのではないかなと思います。

 

特殊メイクはこの時代でも凄い、だけどそんな完璧な孫悟空の猿の顔の中に覗く、怒りも憎しみも、愛も痛みも…伝わってくる目は、今も心に残る。忘れ難い。

 

 

 

それはそれ、これはこれ、正にはじまった新しい物語だったと思うけれど、唯一新しい西遊記と繋がっている

 

一生所愛- 盧冠廷- YouTube

 

このチャイニーズ・オデッセイのエンディングでもあった曲。あっちを見たら、もうこの曲だけで胸が締め付けられるようだった。心に深く残るエンディング…

映画館で鼻を啜るのは恥かしい…でもじわっ。

 

 

Gメンは曲としては好き、いいと思うんだけど…日本版でも流すのか、と心底驚いた。わかっててやったのかなぁ?どうしたって笑っちゃう…。

 

 

ここまで読んでくれた人はいるのか?いたらありがとうございました。もうこんな長く書くことは…たぶん、無いと思います。ふらふら。