六月に雨が

You should take your umbrella.

枇杷

 

 

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通学路に、庭に植えてあるびわの実がなったら「ほうら」と、通り過ぎる小学生にくれていたおばあちゃんがいて、大人になって、用事があって戻った田舎の病院でバッタリ会った。

もちろん向こうはこちらの顔なんか、大人にもなっているしわからなかっただろうけど、こちらはなんとなくその顔を覚えていた、あぁびわの…って、食べ物の恨みは、とよく言うけれど食べ物に関したら恩だって忘れ難いのかもしれない。単に私が食いしん坊の欲張りなのかしれないけど。

ともかくニッコリ笑顔のおばあちゃんにぺこっと頭を下げたら、ん?という顔をしたので「昔、あの辺りにいらっしゃった、夏になると学校の帰りにびわをいただいていた、と思うんですが…」

「あぁ」さすがに一人一人は覚えていなくても、びわを子供らにあげていたことは覚えているようで、それに話し方も穏やかながらしっかりとして、あぁ、自分が子供の時は「おばあちゃん」と思っていたこの人が、あの頃ほんとはまだせいぜいおばさんくらい、そんなにお年寄りじゃなかったんだなということにも気がついていた。今はほんとに小さな可愛らしい福の神のようなお顔をされたおばあさんだったけれど。


びわごときで、餌付けされたようにと横で笑うような伯父に病院で「じゃかましい黙れ」と言うわけにもいかず、笑顔のまま「黙っててね」と逆に子供にでも言うように注意してしまったけれど、考えたことをもう一回考えてから口を開け、と祖父に度々怒鳴られていたこの伯父も歳をとったのかもしれないなぁ、悪化して…と思いながらおばあちゃんとの穏やかな話に戻る。

 

あの頃はね、たくさんびわが成るものだから、お父さんと二人で食べきれないでしょ?
だから、夏の暑い日に学校から帰る子供達は、さぞ甘いものでも食べたいんじゃないかって
家にある果物だし、わけていたのよ。


その後また帰ってきた家族が増えて、だからってやっぱり全部は食べられないけど、あげると言ったら家族まで呼んで来てほとんど持っていってしまう子がいたりで、あげるのはやめましょう、ということになって

そうして2、3年がしたら突然枯れてしまったのよ。

あのびわの木。なんだかね、あぁもうお役目を終えたと思っちゃったのかなって、お父さんと言い合ったものだけど。


そうですか。

しばらく話しておばあちゃんにもう一度「あの時は嬉しかったです、ありがとう」と言ってから席を離れた。


あのびわの素朴な優しい甘さ。その後大人になってからも懐かしくて食べたいなと買ってみても、あれからびわを美味しいと思って食べたことがない。

何かが違うと思ってたけれど、もうお役目を終えたというその樹だけが特別だったわけじゃないのかもしれない。
暑くなってプールのあった日なんかはフラフラになるほど眠くてダルくて足を引きずるように帰った帰り道。
おだやかそうな顔のおばあちゃんがくれるびわを、本当に喜びながら食べていた。その時のすべてが詰まったびわを私の舌は欲しがっていて、そんなものはもうどこにも、見つかるわけないものな。

 

大人になってもう一回会って、その時色々としんどいことが多かったけれど、おばあちゃんと話をしている間、びわのことだけを考えて、他のことは忘れていた。

あの時おばあちゃんのびわを何の心配もせずもらって、ちょっとした親切ごと食べられたのは本当によかったな(自分の子供の頃にはもうそういうのはダメな注意することの一つになっていたから)とだけ思ったから

それからもう食べることはないけれど、びわの木をどこかで見たら、おばあちゃんを思い出すように「暑いですねぇ。」と心の中で声をかけたりしてしまっている。

 

びわの木も植えた。だけどこれはいつまで経っても実が成らずに今では「びわ成らずの木」という名前のびわに似た木だったんだよきっと…ということになっている。