六月に雨が

You should take your umbrella.

紅楼夢 ~愛の宴~

 

 

 

紅楼夢 | 公式サイト

紅楼夢(こうろうむ)〜愛の宴〜 Dream of the Red Chamber|LaLa TV [ララ・ティービー]

 

あぁきれい。

 

 

 

秋にCSで放送していたのですが、今もまた放送しているよう。前DVD借てチラチラッと見ていた。なぜ借りたのにチラチラだったかといえば長いからなんでしたが…

2013年にドラマ化されたもので全50話。

評判とかもそれほど聞こえてこないようだし、人気爆発したようでもなかった、自分が見てもすごいおもしろかったとは言い難い、正直これだけ見てもよくわからないんじゃないかな?と思ったのですが

 

映像が、もうとにかくきれい。うっとり。

絢爛たる夢、絵巻物のよう。

これはいったい誰の視線なんだろう?と不思議になるような、屋敷に彷徨い込んだ何かになって、キラキラと光と影が揺れる中、彼らの生活を覗き見ているような不思議な目線。

つかみどころのないようで、胸に迫る独特の映像美と、淡々と感情を交えず語られるナレーションは、何かはあった、起こったことをただ見せられているだけ…それがどこか怪異譚や民間説話のようでもあり、それぞれが一場の夢のようだ…と感じてくる。

 

 

 

生まれた時、口に玉をくわえていたという、だから宝玉と名付けられたという、上流階級の令息・賈宝玉(か・ほうぎょく)

彼を中心に賈氏の一族の人々、そして共に住まう林黛玉や薛宝釵といった一族の少女達との風流な暮らしぶりや、その互いの交錯する情を中心に描かれているけれど

一族も大人数なら、そこに使えている人々だけでも何人いるの?無数かな?と呆れるほどの大人数、大家庭の、権勢を誇る日々はそれはそれは何もかもが豪奢で盛大だけれど

冠婚葬祭も愛も怨みも永遠の別れも…ドラマを見ているというより、目の前に絵巻物がいくつも、次々と広げられていくのを目にしているよう。

繊細に、細かに描いているけれど、描かれているのは場景。

その絵筆は夢の中のように壮麗に、幻想的で…

このような出来事がありました、と見せられ、その場景での心情が仔細に描かれていくのではないから、絵のような一場の夢という気がするのかもしれない。

 

 

それぞれに特徴的な個性のある美少女たちの、黒髪はしっとりと一様に重たげに長く、眉薄く、薄い天女のような衣といい、儚げなようで妙に官能的だ。
まだ少しあどけなさの残る桃のような頬に、純な黒々した瞳なのに、髪を丁寧にこしらえ、生まれた時から絹に包まれていました、というような優雅な身のこなしが、なまめかしく、アンバランスの妙なのかもしれない。

 

 

 

一族の一人・賈珍の、息子の嫁である秦氏が亡くなる。異常なほどに嘆き悲しむ賈珍は盛大な葬儀を執り行うのだが

妻が持病の為に葬儀を仕切れないとわかると、途端に顔色を変え、弔問に訪れた客にもてなしも出来ぬと言われはせぬか…とおおいに慌てふためき、怯え震えんばかりにして、一族の嫁の一人でしっかり者である王熙鳳に手伝ってもらえるよう、長老に頭を下げんばかりに頼み込む。

 

頼まれた王熙鳳は、葬儀の場を仕切るのははじめてのこと、と腕が鳴るとばかりに我が身を整えると準備万端で賈珍の屋敷を訪れ、使用人たちの差配からすべて仕切りなおし、思い通りにその腕をふるっていく。

 

喪失で描かれるだろうと思うような身近な者の悲しみや失われた者への感情は描かれず、そうして行われた、見た人はきっと孫の代まで語り継ぐだろうと思える、地を圧せんばかりに、と表現される長々と続く葬礼。

 

 

この盛大な葬礼は一人の死という欠落を埋め合わせるには大仰過ぎるほどに感じるけれど、そこに秘められているだろう人々の思惑も、運び去る為の葬列なのだろうか…

 

 

その後、賈宝玉の姉である賈元春が、後宮で貴妃の位を賜り賢徳妃となる。

まことに禍福あざなえる縄のごとしだけれど、貴妃となった娘が家に戻ってくる、それがただの里帰りにはなるわけもない。

貴妃の為にと、豪奢な庭園をしつらえ、一族の者は準備万端怠りなく、打ち揃って正装に身を包んで出迎える。

その様子は煌びやか過ぎて、眼も眩むほど。

たとえその場に居たとしても、現実のことと思えないのではないかしら。

正に天上の人のような妃が、花火が幾つも夜空に上がる中を、庭園までゆるゆると小舟で渡ってゆく…

そして一族の長老までもが跪いて、妃でさえ気後れするほどの君臣の礼が終わると、ようやく家族に戻り抱きしめあう女たち。楽しい時は一時、次はいつお目にかかれるやら…と貴妃も涙で頬を濡らす。

開かれる酒席でしっかりとしたこしらえの舞台上で京劇の舞いが演じられているけれど、その本格的な役者の姿でさえ、霞んで見えるほど、すべての人々が華やかで

水の上を渡っているように滑らかに、妃の元を訪れる一族の少女たち。

 

女達はみな、若い蕾から成熟の妃まで、艶々と、揃って絵画のような美しさというのも奇妙に現実感を欠いて見える。

多くの人々が住まう大家族の中のあれこれ、男女の間だけでなくそれぞれの愛憎、一族の繁栄から没落までが描かれているこの話の中で、お金に出世…と起こることはひどく現実的な話なのだけれど

仄暗さの中から覗き見るような彼らの暮らし、生活は、美しい魚のようにひらひらと行き交う様に彩られて、幻惑され、生臭い匂いはかき消えてしまうのかもしれない。

 

 

この豪奢な家に仕える側の人々、大勢の召使たち、それを仕切るこれまた幾人もの婆たち…彼ら彼女らのほうが、生きいきと人間らしく見えても不思議はないというのに
おかしなことにこの世界の中では、賑やかに、時に喜怒哀楽をはっきりと表す彼らのほうが何だか芝居がかって、よく出来た人形たちが懸命に「人間らしさ」を演じているようにも見えてくる。

 

 

交互に、あるいは重ねあうように、織り成されていく物語は美しいようで残酷さがあり、やっぱり原作を読もうとは思った、

というか、いつになったらちゃんと読むのだ?と自分の中から声が聞こえてきたけれど…

美しく儚いこのドラマ、原作には到底及ばないのかもしれないけれど、もっと細やかに知りたいと奥に秘められた物語への欲がかきたてられる。

 

 

主人公である賈宝玉少年は、ふわふわと少女達の間を彷徨い歩き…それでも少しも穢れの無い子供のような顔をしているのだけれど

…なんというか、こんな物凄いものの中心にいる人物というのは、あまり気にかけたり、このような一族を背負って…とか真面目に考えてしまうようでは、どうにかなってしまうのかもしれないなぁ、と

だから少しずつ、大人に近づいていくにつれてあんな風になってしまうのは、没落や何かが無かったとしても、必然のことだったんじゃないかという気もしてくる。

 

世間ずれしてないのにもほどがある…とはいえ、あれだけ浮世離れした環境に生まれ育てばそれも無理はなく、けれど賈宝玉は、貴賎なく誰の身にもありそうな躓き、大切なことをちゃんと伝えるべき相手に伝えられなかった為に、悔やみ憂う青年になっていくのだけれど…

 

 

ああなってこうなって…で、この先どうなるんだ?とハラハラ、わくわくするような物語、ドラマではない。

けれど不思議で美しいものが行き交う様を眺め、夢か現かわからないような映像に幻惑されるうち見終わっている壮大な栄枯盛衰に、「結局この物語は何をいわんとしているのだろう?」よくわからずにポカンとしながらも酔ってしまっていた。

なんだったら他は端折ってでも

日本の美は余白というけれど、もうホント正反対だなぁって思う

隙のあるのが耐えられないように、隅から隅まで埋め尽くされたグルリ360度の美が煌めく

美し過ぎて、美しさのあまり目眩がしてくるようなあの貴妃の里帰りの場面だけでも、お口ぽっかり開いたまま見蕩れていただきたい。