六月に雨が

You should take your umbrella.

めぐり逢わせのお弁当

 

 

じわじわと滋味。踊らないインド映画。

 

めぐり逢わせのお弁当 DVD

めぐり逢わせのお弁当 DVD

 

 

インド・ムンバイでは、お昼どきになると、ダッバーワーラー(弁当配達人)がオフィス街で慌ただしくお弁当を配って歩く。その中のひとつ、主婦イラが夫の愛情を取り戻すために腕を振るった4段重ねのお弁当が早期退職を控えた男やもめのサージャンの元に届けられた。確率600万分の1とも言われる偶然の誤配送がめぐり逢わせた女と男。イラは空っぽのお弁当箱に歓び、サージャンは手料理の味に感嘆する。だが夫の反応で他人に届いたことに気がついたイラは、翌日のお弁当に手紙を忍ばせる…。

 

監督:リテーシュ・バトラ
出演:イルファン・カーン ニムラト・カウル

 

ほのぼのか!と思うタイトルだけれど、ラッキーなめぐり逢わせでハッピ~!というような映画ではなかった。

苦さもある、抑えめの味わいがじわじわと効いてくる。

ここがこう!って一つの場面より、見ていくうちに効いてくる映画な気がするので、秋の夜長にでもじわじわと見て味わうといいんじゃないかと思う。

 

 

踊らないインド映画、とか言うと「そりゃ踊らない映画だってあるよ!当たり前だろ」とインドの方はおっしゃるかもしれませんが
その当たり前に違いがあるのもまた当たり前なのかもしれない。

 

 

ビックリするほどの数のお弁当が配達人の手によって一斉に運ばれ配られていく光景はそれだけで活気と目が覚めるような迫力があり「これで間違わないほうがどうかしている」ようにも見える。

そんな見慣れない光景も、けれどインドではごく当たり前のことだという。

配達人のおじさんが「ミスなんか絶対に有り得ない」「ハーバード大学の人も来て賞賛した」と熱弁する脅威の弁当配達システム。

でもハーバード大のリサーチでその確率は600万分の1だと言われたという誤配送が起こってしまったことから、サージャンとイラの二人の物語ははじまっていく。

 

 

妻を亡くしてからは食堂に頼んだお弁当をダッバーワーラーに配達してもらい、オフィスの食堂で誰かと同席するわけでもなくいつも一人黙々と食べていたサージャン(イルファン・カーン)の元に間違って配達されてきた

インドの一般的な中流家庭なんだろうなと思われる家庭の主婦イラ(ニムラト・カウル)が作ったお弁当。

そこから描かれてゆく二人の職場や家庭、日常の光景はごくありふれた、日本でだって当たり前にありそうな生活。

イラのお弁当だって、見るからにすごいご馳走!特別な料理、というわけでもない。

夫と娘と三人の小さな家庭の中で平凡な毎日を過ごすイラだけれど、ただ夫の様子に近頃少し不安と不信があり、いつも窓越しにお喋りしている近所のおばさんのアドバイスに従って、夫の心を取り戻そうと健気に作っていたお弁当なのだけれど…

 

食堂や飲食店のお弁当が美味しくないわけじゃない、と思う。

ただ、様々なお客を相手に、出来るだけ多くの、色んな人の好みにあうようにと作られたお弁当では味わうことのなかった味だったのかもしれない。

 

 

一人の家から満員のバスに揺られて出勤し、早期希望退職の日まで淡々と自分の仕事をこなすだけの日々に、突然訪れた「お弁当」という変化から、そんな毎日が当たり前になって、そして忘れてしまっていたのかもしれないことを、気がついたり思い出したりしていくサージャンの

少しずつ細やかに表現されていく心の動き、表情の変化が味わい深い。

そして空っぽになったお弁当箱に添えられて届く、弁当の感想と、時に心のまま正直に、時に年長者としての思いやりのこもったサージャンからの手紙に

互いに顔も知らない相手だからこそ素直に話せるのかもしれない出来事や、率直な思いを綴るうちに

今の自分を見つめ、考えはじめるイラ…

 

 

周りも自分も、何も見えなくなってしまうような熱烈なロマンスや恋物語ではなく

お弁当文通をきっかけに、本当に少しずつ一人の人間としての自分を思い出していくような二人。

自然周りにいた人とも人として接していくようになるサージャンの変化は、抑え目だけれどとてもいい表情で

最初は表情もないような固そうなおじさんだっただけに、ささやかな変化の積み重ね、変わったことと変わらないことからじわじわと見えてくる、感じられるサージャンという人に

見てるこっちも少しずつうれしくなってくる、思わず微笑ましくなるような愛らしさ。

なにしろ部下のミスを庇い「自分がやりました」と言っても「きみは三十年間一度も間違えたことなんてなかったじゃないか!」と上司に即否定されてしまうほど、もともと真面目で几帳面な人なんだろうなぁと思うけれど

だからってガチガチに堅物なわけではなく、人を許すことも知ってる成熟があり

毎日をやり過ごそうとしていただけの日々から

そうして温かみも見えてくるけれど根は冷静で落ち着いたサージャンの人物像がとてもいいのだけれど、それはちょっとビターなことでもある。

忘れていた自分を思い出すことは出来ても、過ぎた時間は取り戻せない。

今の自分にも冷静に気づいてしまった時、見ないふりをすることが出来ないサージャンと、色々なことの果てにとうとう自分の新たに生きていく道へ足を踏み出していこうとするイラ。

 

二人の物語はハッピーエンドという終わり方でもなく、けれど二人はこれからどうする、どうなるんだろう?色々なことを考えてしまう余韻を残す。

 

 

 

二人の静かな交流はインド映画にイメージしてしまうような銀幕のスター!魅力炸裂!というのではなかったけれど、見ているうちにじわじわといつの間にか入り込み共に一喜一憂していた。

 

イラの家族の他に、主な登場人物はイラがいつも窓越しにお喋りしているおばさんと、とにかく一人で喋りっぱなしの煩いったらないサージャンの新入りの同僚くらいなのだけれど、この二人の存在感もよかった。

うるさい新人は特にナイス。メチャクチャな所もあるけれど、ちょっと開いた懐の内側にしっかりと入り込まれてしまったサージャンの気持ちがわかるような気がする憎めなさ。

 

 

踊らないけど歌はあり、映画的な音楽の使われ方(これまたぼーっと見ていると見逃しそうなほど、抑制の効いたほんの少しのユーモアもいい感じ。)もいいのだけれど、電車やバスの中で子供たちや宗教的な集団なのか、普通に大きい声で歌っていて、またそれを誰も気にしていないようで

インドではこうなのかなぁとなんとなく、彼らにとっては日常的なことに思えてくる歌や歌声というのも良かった。

派手に歌ったり躍ったりくるくる回ったりはないけれど、少しせつない後味を味わいつつ、人生は回るよウーララと心の中に歌が流れてきて

サージャンやイラのこれからがどうあれ幸せに、達者に暮らせよーと二人の背中をそっと見送るように見終わっていた。

 

  

 

 

映画の終わり近く、ほんの短いシーンだけれど、ナン?かな?パンのようなものを、イラがサッと火にかけると一瞬で「ぷう」と膨らむそれがとても美味しそうでした。

 

オシャレでもなんでもない、うちとというかたぶん日本の多くの家庭とも基本そんな変わりないようなキッチン、ガスレンジ…だけどその毎日使ってきたんだろう感じや、ささっと手馴れたイラの手際の良さ。

きっとここで何度となく焼いてきたんだろうな、でもイラの料理を食べたサージャンたちの表情を思い出すと「わーすごい」っていうのでなく「ん?うん、うん、うん、うん…」って

なんていうか上手く言えないし言う必要もないんだけど、納得しちゃう間違いのない感じ、ここでのパン(らしきもの)にもきっとそんな当たり前のようで食べれば「そうこれこれ」と思うようなしっかり決まってる味がするんだろうなと、感じたのかもしれません。

もっと「ぷう」と焼いて焼いて!子供のように思ってしまい、食べたくなった。

 

 

 

インド映画、もう一つ見たんだけど

 

マッキ― [DVD]

マッキ― [DVD]

 

 

”ハエ”の映画とは事前に見たりしていたけれど、まさかこういう映画じゃないよね?と想像したとおりの映画で、これは私はなかなか唖然とした。やっぱりインドわからんねーって

うん、そりゃそうだ、ちょっと映画見たくらいではわからない。

 

だけど思ったのは、こうなるベースになってる考え方がもう見る側作ってる側みんなに当たり前に共通のものとしてある、ということが大前提な話なんでしょう、と。

それがない私には序盤からびっくりの早さで「なぜ当たり前のようにそうなる?!」と思う方へもう凄い勢いでブンブン突き進んでいくのだけれど

それはもう彼らにとって当たり前のことだからしょうがないんだ…という感じ。

ダイジェストかと思うようにサクサクと、置いて行かれそうな猛烈なスピード感で飛んでいくのに呆気にとられた復讐劇でした。

ダイジェストというか、あのね、人間こんなんしたらこんなになりますよ、そやからこういうことはしたらあかんのやね、と説くお坊さんとかのお話、説話とかがそのまんま映像になっているのを見ているような、

でもその映像の技術はスゴイわ、筋書きや役割のはっきり決まっている、例えば良い神さまと怖い神さまの戦いとかを描いたお芝居やダンスの持つ迫力のようなものもあり濃くて、もうなんだかブっ飛んだことになっていた。

たぶんきっとむこうは真面目にやってる、だろうなぁと思うのですがいっそわからないなりに「なんじゃこりゃ」ってギャップも楽しもうと観ると楽しめる映画なのかもしれません。