流星小夜曲
”暖かい夜の風の中で靴を脱いで 子供のように”
そう始まる歌だからか、海に行けない夏の終わりに聴きたくなって。
夏はあっという間に過ぎて行ったけれど、海が恋しい。
子供の頃は父のバイクの後ろに乗って、特に用もなくても行っていた。なんてことない海辺の磯の匂い。今でも覚えている。
海水浴にわざわざ出かけるより、なんでもないのに海にちょっと行って、そのまま干して売っているスルメをお祖父ちゃんのお土産にと選んだり、なぜかよくいる猫を構ってみたり
父の趣味である釣り道具屋さんに付いていっては、行くたびにいちいち自慢げに見せる壁に飾られている父の釣ったという魚拓を「ハイハーイ」と軽くあしらってみせたり(何がいいのか、自慢なのかもさっぱりわからなかった。)ちょろちょろとしては店の中で最もキレイで玩具っぽい疑似餌を、穴のあくまで眺めていたり。
そこで繰り返し、繰り返し、絶えることなく聞こえてくる海の音。そして磯の匂いがあれば、何をしていたっていなくったって、最高の場所なのだった。
思い立って急に、という海行きは今思えば、何かの用事で一人で私を見なければならなくなった父の、唯一の策だったのかもしれない。
自分が釣り好きで海に行くのは好き、海を見せてチャプチャプと波打ち際や海の辺りで遊ばせておけば、いつまでだってぐずることもない娘。
両者の利害が一致する場所だったからか、夕方からでもふらっと二人で出かけては、散歩したり気の済むまで遊んでもらっていた。
混みあう真夏、海らしくない気がする冬よりは、夏の名残もあって、でも秋の寂しさにはまだもう少し遠い、夏の終わりが一番いい。
覚えている中のどの場所より好きだった。
近所に怖い怖い神社があるよ、ということ以外は。
さすがに帰ろうか、という時間になると父はきまって「ほーら」と神社の方を差して見せ「…来るぞ」と私を脅かして青ざめさせる。てきめんに怯えた私はようやくバイクの後ろにおとなしく乗る。
子供の頃はそれはそれは日本人形が恐ろしかった。あの神社にはそんな人形がそれはたくさんたくさん収められていて、見たこともないのに、夜になったらあのたくさんたくさんが歩いて石段を下りて来る!
というのが私にとって小学校高学年くらいになるまでの、最大の恐怖(妄想)だったのだ。今では人形も好きだけれど。
無口で、子供にもそうだった。あまり喋らない父は、子供の相手もきっと苦手で、ろくに話したことがないというのに、私があの神社の人形を怖がってるって、どうして知っているんだろう?
そう思うと、余計に怖い想像にいてもたってもいられず、慌ててそそくさと「早よ帰ろ、早よ帰ろ」子供には大きいヘルメットを小さな手で懸命に被りながら、自分から父の背中にしがみつくようにせかす。
言わなくても一緒に生活していたらそりゃわかるよね…テレビで怖い番組なんかで人形が流れるたび「ぎゃっ」とまるで梅図マンガの恐怖の表現のような顔になっていたんだから、見ればわかる…といつか気付いていたけれど
そうやって海に行っては拾い集めた、貝殻やきれいな石、削られて丸みを帯びたガラスの欠片を、本当はその夏だけでなく一年中の収穫物だけれど、なんとか張り付けたりして「海のものを集めた何か」としか言いようのないものを作って提出するのが、私の夏休みの工作と決まっていた。
小さいうちは作りながらいちいち、貝殻に耳をあてては「まだ海の音が聞こえまーす。」好き勝手してなかなか進まないものを、父がなんとか、ほら、こうして、手を口を出して、やっと出来上がる宿題。
後から見るとそれはまるで、海辺のお土産屋さんで売れなくて埃をかぶってそうな、貝と石で作ったタヌキだとか、謎の海オブジェのような置物そのままだったけれど。いやげ物のような。
”みんな自分勝手になって ただ誰かが来て愛してくれるのを望んでるから
私達はすでにどうやって差し出すか、どうやって愛しに行くのか
何が愛なのか 忘れてしまったのか”
そんな風に歌うこの歌を聴いていると、あんな頃のような気持ちになって走って行けば、どうやって、なんて考えるまでもない。
大人になって分別がついて、そうやって生きていくけれど、海を忘れてしまいそうでふと「カラ」だと思いそうになったら、走っていこうと思う。あの海へ。何も用なんかなくても磯の匂いを嗅ぎに。
ぼくは去っていかない、と歌うボビー・チャンの歌のように、いつだってそこにあるから。
そしてまた、「海のものを集めた何か」を作ろう。人にあげて嫌がらせかと言わせるんじゃなくて、行けない時に海の匂い、音を思い出せるように。