六月に雨が

You should take your umbrella.

たそがれ

「黄昏」

 

 

ジュンリンは、どのカメラを持って、どのカメラを置いていくかの選択と決定とに余念がなかった。旅に持って行くカメラと機材、それは他の全ての準備をおざなりにするほど、彼にとって大切なことといってもよい。

自分の目で知らない、新しい、見たことのない世界を見ることも重要なことだったけれど、それをファインダーを通して見る、切り取る。

それはジュンリンにとって、自身の感情、思考、あらゆるものを含めたその時点のジュンリンそのものの、一種の記録のようなものだった。

 

シャオユーは淡々と手馴れた様子で、あまり荷物にならず、外国で身につけて動きやすく、けれど見栄えもそれなりに良い、そんな服装や服飾品を手早く選んでは、シャオユーの印象そのままのようなコンパクトさに荷物をパッキングしている。

それを見るともなく視界の端に写しながら、二人で出かける日本旅行、旅先へとジュンリンは早くもあれこれ思いを馳せる。

二人での旅行はもはや数え切れないほどの回数になり、いちいち互いの準備や旅そのものにも多くの言葉、やりとりを必要としていない

日本に行くのは何度目になるだろう?

一通りの荷造りも済ませて煙草を吸いながらジュンリンは思う。北海道、箱根、東京、大阪…幾度かは一人で幾度かは二人で、行った覚えがある。けれど、いつ、どの場所にシャオユーと一緒に行ったのかは曖昧な記憶しかなかった。

北海道のあの雪。雪原の中、一本だけ凍りついたように立っていた木をシャオユーは見たのだったか?

いくら考えても思い出せそうになかったけれど

まぁいいさ。それだけぼくたちは互いが空気のようなものになっている、それは悪いことじゃない。長年一緒に居る、気がおけない二人というだけのこと。

そう思うとジュンリンは、旅行の前に片付けておかなくてはならない用件を、一人で片付け始めていた。これが終わったら明日の為に早めに眠ろう、…とそこまで思いかけて、子供じゃないのだし、ジュンリンは苦笑する。シャオユー…のことは考えるまでもない。自分のことは自分で管理するのが二人のやり方だった。すぐにそれらのこと、旅に向けて湧き上がる子供のような高揚感に伴って浮かぶ飛沫のような思いは忘れ、ジュンリンは仕事に没頭していた。

 

 

3時間と少し。たったそれだけの時間で、別の国にいる。人々の様子は自国とそう大差ない、似ているようで、歩き方一つとってもやはりどこかが違う。

人が違えば気風、町の空気も違うのか、有名な観光地で人々の姿も平日とは思えないほど多く、混み合っているというのに、まるで全員が一つのルールを知っていて、誰もがそれに従っているかのように、整然としている。

それぞれが自分達の言葉で喋り、観光地らしく様々な言葉が時折耳に聞こえてくるのだけれど、賑わいの規模に比べてここはやはりとても静かだ。シャオユーと向かい合って座ったカフェの席で、ジュンリンはそう思いながら、町を、人々を、カメラを通していない時でもファインダー越しに眺めているように見ていた。

四角く切り取られた、洗練されているけれど自然を色濃く残した背景に、現れては消えていく流れのような人々。

 

その日は一度ホテルにチェックインし荷物を置くと、カメラと機材、少しの身の周り品だけをバッグに、ずいぶんとジュンリンは歩き回った。

どこもかしこも。どうということのない路地ですらここにしかない風情があり、そんな風景を写真に収めることで自分だけのものにして、持ち帰ろうとしているように

到着した日だということも忘れ、疲れを感じる間もないまま日暮れまで。この整然とまとまっているようで、歩いているといくらでも広がりのあるような町の虜になったように、写しては、歩いていた。

 

その川辺に下りてみようと言い出したのは、どちらが先だったか。ジュンリンにはどうしても思い出せない。ただ、気がついたら、今まで忘れていたものをふいに思い出したように、そのことに少しの後ろめたさを感じつつ、ジュンリンはシャオユーをファインダーに収めようとしていた。「一枚撮ろう。」そう言ったジュンリンに、何と答えを返したのだったろう、シャオユーは。

日が暮れなずんでいく、町の灯が灯り始めているけれど、まだ暮れていく日の光とそれは絶妙な拮抗を保って、すべてがほの暗かった。

よくないな、ちょっと。何度かファインダー越しにシャオユーの姿をもう少しはっきりさせようと調整すると、とりあえず試しに一枚、そうジュンリンが思ってシャッターを切った、そして___

 

シャオユーは消えた。

撮った一枚があまり思うようではなかった、苦笑いしながら片手をあげ、再びカメラを調整し直し、もう一度、とジュンリンがカメラを構える前に顔を上げて声をかけようとしたその時には、シャオユーはおろか、人一人いず、河原には夕暮れの緩やかな風に吹かれる草だけが、微かに揺れていた。

シャオユー?

声に出すことも、なぜか不安な気がしてひそめたような小さな声になったのを、振り払うように咳払いをするともう一度

シャオユー。

ようやく出た普通の声での呼びかけにも、何の音も返らない。

 

さすがにジュンリンも、柔らかく纏わりつくように繁った草をかきわけるようにしながら、あちらこちらへ、声を掛けてはシャオユーを探し、少しずつ見えにくくなっていく、暗く沈んでいくような川に足を入れまでして探しまわってみたものの、やがてとうとう、どこにもシャオユーの姿は見つからず、少なくとも自分ひとりではもう見つけられない、そのことにようやく思いいたった時には、辺りはすっかり夜の闇に覆われていて、橋の上の灯りだけが目印のように光っているのを、ジュンリンは夢の中にいるような、呆然とした顔で見上げていた。

 

ホテルに戻り、フロントを通してどこに連絡をすべきか、もし本当に行方不明ということならば、連絡をしなければならない所はあるはず、いやしかし…何が起こったのか、あるいは起こっているというのか?

まだふわふわと足が地についていないような心情そのままの表情で、それでも出来ること、しなくてはならないことを考え、行い

この国に暮らす、あるいは自分達の国でシャオユーと親しい、ジュンリンもよく知っている友人知人に…と片っ端から連絡をとり、出かけるべき場所に出かけ、また戻れば今度は誰かが部屋に訪れ…そうしながら夜を明かし、知らせを待っていても、シャオユーの行方がジュンリンの元に知らされることはなかった。

 

それから幾夜も過ぎ、滞在を延長し、一時帰国してはまた足を戻すということを繰り返し、最終的に、事件や事故に巻き込まれた可能性は限りなく低い、と判断されたシャオユーは、他の、この国で日々行方不明になる者たちとほぼ同じように、その中の一人、一行方不明者として扱われることになり、出来ることはすべてした、し残したことはもう一つも無いことを、すべての関係者の最後にとうとうジュンリン自身が納得せざるを得なくなり

 

彼ら二人と直接の関係の有無に関わらず、多くの、様々な人々が、どのような角度から見、どう考えようと

なぜ?どこへ?

シャオユーの行方はもちろんのこと、原因や理由かもしれない問題も、すべての意見や考え、推測や憶測のどれ一つとして、ジュンリンとシャオユーの二人に当てはまることはなく、人々は次第に、ジュンリンを気の毒に思い、そのように言い、扱い

疑い、信用せず、何かを待っているような目でジュンリンを見ていた人々でさえ

現代に起こったこととはとても思えない、まるで遠い昔の、本当かどうかも誰にもわからない伝承、説話のようだと語るようになっても。

 

 

全ての中心にいるはずのジュンリンにはけれどそれらはすべて、まるで自分ひとりだけが水中に居て、歪んで遠くから見る、何かは聞こえるけれどそれが何を意味しているのかはまるで理解できない音を聞いている、ようだった。

 

なぜこんなにすべてが的外れで、焦点があわないんだろう?

そうジュンリンが考えたのは、まだ微かな雑音のようなものは時折現れてもすぐに消える、元通りに戻ることはけしてないけれど、日常だった時間に少しは似たものをようやく取り戻して、しばらくしてからのことだった。

いや、考えるまでも無い。

一人ベランダに向いたイスに腰掛け、終わっていく一日と向かい合うように、ジュンリンは自分の考えたことをすぐ否定する。

焦点が合うわけはない、焦点を合わせるべきシャオユーが存在しないのだから。

皆はジュンリンがこの、ジュンリンとシャオユーに起こったことの中心にいると思って、考えているけれど、そうじゃない、中心にいるのは、いるべきなのはシャオユーなのだ。

 

けれど、シャオユーに焦点を合わせたことが、自分自身にあっただろうか?

ある、と即座に思っても、それがいつ、どの場所でだったのかが、ジュンリンにはうまく思い出せない。いつの間にか、ファインダーの中、現れては消えるような人々、その人たちとシャオユーとの違いは、消えてもじきにまた現れるということだけだったような気さえする。けれどシャオユーは二度と、再びジュンリンの視界に、その片隅にさえ現れることはなかった。

 

 

あの日、黄昏に写した一枚、確かにシャオユーが存在していたはずの瞬間の写真は、あれからじきに、シャオユーの行方を探す人々によって現像され、ジュンリンも幾度と無く見た。

見れば見るほど、けれどジュンリンには、それは確かにシャオユーなのだろうか?他の誰が見てもシャオユーに間違いないと証言したその写真のシャオユーは、目を離した瞬間には、別の、よく似てはいるけれどまったく見知らぬ他人に変わってしまっているように思え

見れば、見た瞬間懐かしい、よく見知ったシャオユーの顔、表情なのに、目を外すと途端にジュンリンの自信はすぐに揺れ、確証は失われていく。

シャオユーは、あの時消えてしまった、それだけが確かなことに思える。

 

日本の教育を受け、統治が終わってからも文学や言葉を学び続け、まるで失われた親か片割れを求めるようにあの国を生涯慕い続けていた祖父が、ある日子供だったジュンリンに教えた

今では同じ字を書いているけれど、あの国固有の読み方とその語源。

黄昏について教えられたこと、あの日シャオユーが消えたと本当に悟るように思った時、突然脳裏に甦った祖父の話していたそれが、あの日から遠くなればなるほど、ジュンリンの中で、シャオユーが消えて出来た空白と同じくらいの大きさになって、まるで肩を並べるように存在している。

 

シャオユーは消えた。では自分は?ジュンリンはあれからどうなったのだろう?

シャオユーが消え、ジュンリン自身もまた消えたような気がする、とある日誰かにジュンリンは話したけれど、シャオユーの消えたのは黄昏。

ジュンリンが、シャオユーが消えたのだとハッキリと突然のように理解したのは、その夜が明ける、夜明け前で、もしジュンリンの言うように二人ともがあの日消えてしまったのだとしても、二人の時間が交わることは永遠にない。

 

 

 

 

黄昏 - Wikipedia

 

 

 

 

 

 

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 ハクショ…フィクションです。

短編小説の集いの「写真」というお題に思いついていたものの、突然書いたのは夕べで、間に合うわけはなかった(遅過ぎ)。これが短編小説になっているのかどうか、自分で読み返して、ジュンリンの思ったことを書いている時点でもうダメだこりゃ、と思いました。そしてシャオユーが消えた、以降からは色んなものがそこで明らかに途切れていると思いましたが、いくらなんでも一応終わりまではないと、と思ったのでそのまま投稿。

それとは別に、とうに期間が過ぎているのでリンクは貼らずにおきます。

 

 

 

写真が好きで写真集も出版している台湾のアーティスト(音楽)が、この世で一番好きなアーティストなんだけれど、言い訳じゃないけれど、好き過ぎてもうなんと言ったらいいのかわからなくって紹介一つ書けないので、ただ写真→連想ゲームのように思い浮かんで、他に思いつかなかったのでその名前(本名)と同じものになってしまっているけれど、実在の人物・団体とは一切関係ありませんことを記しておきます。

 

 

だからって、好きじゃないもの・ことをいつも書いているわけではなく、ただちょっと、好き過ぎるともう、何を何て言ったらいいのかどんどんわからなくなってクルクル回ってしまう…何を言ってるのかこれがもうわからないと思うけれど、すみませんそういう感じで。勢いで書くだけ書いたら自分が混乱した。

 

 


結論:ちゃんとした話は向いてない。