六月に雨が

You should take your umbrella.

秋の気配

ふわふわとしている。

ゆるふわ、というかわいらしいのでなく、ふわっと魂が浮いてるような感じ。魂見たことないけれど。

何かを待っている時間は落ち着かないものだから、しょうがない。結果がよいほうに出ても数年間はまだ何かの間にいるような気持ちが続くんだろうと思う。

でも別にこういうことがなくても、生きているということは何かと何かの、この場合なら生き始めました・・・生まれた、でいいかもしれないけれどともかく、生き始めてから生き終わりです、までの間なのかもしれないなぁとふと思ったり。

それに今ようやく気がついただけの話なのかもしれない。

 

秋というのも春と同じようになんとなく「夏と冬」がメインイベントならその間っぽい感じもする。
個人的には春と秋のほうが好きだけれども、目に見えて変化が細やかに感じられるから、移り変わり行く季節の間感がするのかもしれない。

しれない、がやけに多いけれど私はいつもそんな風で、あまり言い切る、ということが苦手というか好きではないのかもしれない。

すごく物事を確かなもののように信じていられるのは、羨ましいなと思うけれど、信じられるものがあるのはいいことだ。(皮肉ではないのだよ本当に)

だけどそんなに確かでも…と思うのは悲観でもなんでもなく、不確かだから色んな転がり方もするし、出来るんじゃないかな、と思うのだけど。

 

それはともかく秋の気配。ほんの少し、朝晩の肌に感じる空気、木の葉の色、空の雲、あぁ秋が…と思っている間にも目に見えてまた変化していって、スタタタタタ…秋はずいぶん忙しなく急いでるように冬へ冬へと駆け足のように走っていく、進んで行く。

秋の風に煽られて、コロコロと転がる黒い塊を「ネコだ!」と思って、変な動きなので怪我でもしてるんじゃないかと追いかけて走り寄ったら「…ゴミ袋でした」という事が数回あったけれど(実話だ)、そんなことにはめげないで、秋の色を風を空の動きを、追いつかなくても追いかけるように見たい、見ようと今年も思う。秋は寂しさや焦燥感ややるせなさを感じる、ざわざわするような季節ならその心の動きもじっと見よう。どれも今の間に見られるものなのだから。

 

もしかしたらあまり自分にだけかまけ過ぎないように、ふわふわっとして浮いたようになっているのかもしれない。自分だけ、でも、周りだけ、でもなく、全部があってちょうどよいんだものな、とやっぱり結末もふわっとした感じになるけれども、そういう感じです今年の秋は。

 

 

秋っぽくはないけれど、今咲いている花。

 

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今週のお題「秋の気配」

 

 

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